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スターリン批判

1956年、ソ連共産党第20回大会でフルシチョフ第一書記は、スターリンの個人崇拝、反対派に対する粛清などを批判し、外交での平和共存への転換を打ち出し、ソ連の大きな転換伝となった。

スターリン体制の否定

 ソ連では、1956年2月、ソ連共産党第一書記フルシチョフソ連共産党第二〇回大会においてスターリン批判の演説を行い、世界を驚かせた。公開の一般演説ではスターリン(53年死去)の名を挙げなかったものの、それまでのソ連共産党の公式見解である戦争不可避論(資本主義陣営との戦争は避けられないとする考え)を批判して、西側との平和共存路線への転換をはかり、また暴力的手段によるのではなく議会制度を通して平和的に社会主義への移行することが可能であることを呼びかけた。これは従来のスターリン体制からの大きな転換を意味していた。ただし、共産党一党支配を否定するものではなかった。

スターリン批判

 それ自体が画期的な方向転換であったが、さらに大会最終日の2月24日から25日にかけて開かれた非公開の会議で、再び演壇に上がって『秘密報告』と呼ばれる報告を行い、スターリンを名指しで批判した。この秘密報告は、正式にいうと『ソ連共産党第二〇回大会非公開会議における演説』ということになっており、その表題も『個人崇拝とその諸結果について』というごく穏やかな名前になっている。この非公開の会議には、1355名の決議権をもつ代議員と、81名の審議権だけを持つ代表、計1436名が出席した。内外の記者、外国代表は退席を求められた。代議員もノートをとることを禁じられた。しかし、その内容が海外に漏れ、アメリカなどの新聞が報道し、世界に衝撃を与えた。スターリン批判の内容は以下の点であった。
  • スターリンが1934年の第17回党大会以降、自らに対する個人崇拝を「わがまま勝手に」押し進めた。彼はレーニンの「集団指導」を無視し、党大会や中央委員会を開催しなかった。
  • 社会主義体制達成後も階級闘争は続くという誤った理論から、反対派を「人民の敵」として捕らえ、銃殺するという大量テロル(粛清)を行った。
  • その手先となったのはベリヤらであった。その下でテロルを実行した人びとはそれが社会主義圏説に必要だと単純化していた。(取調官ロドスの例)
  • スターリンは軍事的天才ではなかった。ドイツとの戦争ではその侵入を予測できず大きな損害をこうむる原因をつくった。地球儀で作戦会議を開く有様だった。また、軍隊の有能な指揮官に対しても粛清をもって当たった。
  • 民族大虐殺にたいしても責任がある。
  • スターリンは国内をほとんどあるくことなく、農村の実情を知らなかった。
  • 『スターリン小伝』『全ソ共産党小史』などで自画自賛した。
<志水速雄訳『フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」』講談社学術文庫>

スターリン色の排除:

1961年にフルシチョフは第22回党大会で再度スターリン批判を行った。この時は報告も新聞に報道された。この時、スターリンの遺体は赤の広場から撤去され、スターリングラードはヴォルゴグラードと改名された。各地のスターリン像も撤去された。スターリンによって粛清された人たちの名誉回復が行われ、その数は五~六百万に及んだ。<外川継男『ロシアとソ連邦』1991 講談社学術文庫 p.376>

スターリン批判の影響

 ソ連のスターリン批判は、社会主義陣営に大きな波紋を及ぼした。
・東欧の自由化要求 まず東ヨーロッパの社会主義国では従来のスターリン体制に対する反発がこれを機に爆発し一連の東欧社会主義圏での自由化要求が強まった。特にポーランド反ソ暴動ハンガリー反ソ暴動は陣営全体に深刻な影響を及ぼした。しかし、ソ連はポーランドではゴムウカ政権に一定の自治を認めたがワルシャワ条約機構からの離脱や自由化を認めず、ハンガリーでは暴動をソ連軍を派遣して鎮圧し、ナジ政権を排除し親ソ政権を樹立した。その他の東欧諸国でもスターリン派は排除されたが、自由化やソ連圏からの離脱は実現しなかった。東欧諸国の共産党をソ連が統制する目的でつくられていたコミンフォルム(共産党情報局)も意味がなくなり、早くも6月には解散した。
・中ソ対立の始まり 中国共産党では毛沢東を中心に、スターリン批判に反発した。特にフルシチョフが打ち出した戦争不可避論の否定や平和的手段による社会主義の実現といった思想は、マルクス主義の原則に反するものとして激しく非難した。こうしてソ連・中国関係は悪化し、中ソ論争から国境紛争にまで発展し中ソ対立が深刻化した。また、スターリン独裁政治の否定という面では中国共産党内にも劉少奇・鄧小平ら党官僚の中に同調する部分が現れ、毛沢東との対立の遠因となった。
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ノートの参照
第16章2節 イ.雪解けと平和共存
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志水速雄訳
『フルシチョフ秘密報告「スターリン批判」』
1977 講談社学術文庫