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経済協力開発機構/OECD

1961年に発足した、先進工業国諸国の協力機関。先進国の経済成長と発展途上国への経済援助、貿易拡大などを目指す国際機関。「先進国クラブ」といわれ、日本は1964年に加盟した。

 Organization for Economic Co-operation and Development 西ヨーロッパ諸国の戦後の経済復興のため、マーシャル=プランの受け入れ機構として結成されたヨーロッパ経済協力機構(OEEC)が役割を終えて解消されたのに替わって成立した。アメリカとカナダなどの先進国が新たに参加し、日本も1964年に加盟し、先進工業国の協力機関に転換した。本部はパリに置かれている。

OECDの目的

 1.加盟国の経済成長、2.発展途上国に対する経済援助、3.貿易の拡大などをはかるものである。当初は社会主義経済圏に対抗するという性格が強かったが、冷戦解消後は途上国援助が主たる目的になっており、現在は「先進国クラブ」と言われている。

OECDによる途上国援助

 組織内部に開発援助委員会(DAC)があり、加盟国の政府資金の援助(ODA)と、民間資本による援助とを平行して行うよう調整されている。

途上国支援の問題点

 発展途上国援助の政府開発援助(ODA)は技術協力や無償協力もあるが、多くは資金の貸し出し(融資)であったので、夫妻として途上国に大きな負担となった。債務を返済できず、累積債務が増加し、破産する例も現れた。1970年代に工業化の資金を先進国や国際機関の他に、国際金融市場から借り入れ、返済ができなくなったブラジルやメキシコの例など、中南米にそのケースが多かった。この累積債務問題は、先進国首脳会議(サミット)や7カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)において解決がはかられ、元本の削減や金利の減免などによって1990年代に解決がはかられた。このような債務超過国の経済再建の理論として台頭してきたのが、1970年代の新自由主義(シカゴ学派の経済学)であった。

日本のOECD加盟 「第2の黒船」

  日本は1964年にOECDに加盟した。OECD条約第8条は「資本移動の自由」を「維持、拡大すること」を規定しているため、日本もいわゆる「資本の自由化」に踏み切ることになった。日本はそれまで国内企業を保護するため、外国人による株式取得を制限(総株数の半分以下)していたが、OECD加盟によって資本取引は自由化されることとなった。同時にIMF協定第8条により貿易の自由化(さらに為替の自由化)に踏み切ることとなった。これは戦後経済の復興という名目で保護されていた戦後の日本経済が、新たな国際競争にさらされることを意味し、外国資本による日本経済支配が懸念されて「第2の黒船」などと言われた。
 しかし、60~70年代の日本は(ベトナム戦争のため低迷したアメリカ経済にくらべ)急速な経済成長をとげ、高度経済成長を実現した。70年代後半にはかえって日本資本がアメリカの企業を買収する状況となった。一方、日本のODA(政府開発援助)実績は、アメリカ(109億ドル)についで第2位(97億ドル)であるが、GNP比では0.23%(アメリカは0.11%)の低水準にとどまっている。(数字は2001年)
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