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レバノン内戦

1975年、キリスト教勢力とアラブ人のPLOの衝突。シリア、イスラエルが介入して国際的紛争となり、1990年まで続いた。

 1975年に、レバノンのキリスト教勢力(マロン派)とパレスチナ解放機構(PLO)を主力としたアラブ人との内戦。他の宗教各派がからみ、さらにシリア、イスラエルが介入して泥沼化し、約15年にわたって続きレバノンを荒廃させた。
 1943年にフランス委任統治領からレバノンが独立したが、民族的、宗教的に複雑で、キリスト教系とイスラーム教徒の争いが絶えなかった。1948~49年のパレスチナ戦争によってパレスチナ人難民が多数移住し、さらに複雑な民族・宗教攻勢となった。そこに1970年にヨルダン内戦で追われたPLOが多数のパレスチナ難民とともに移ってきて、ベイルートを拠点に対イスラエル武装闘争を展開した。

レバノン内戦の勃発

 ヨルダン内部では宗教・民族対立にパレスチナ勢力がからみ、1975年からレバノン内戦となった。内戦はまずキリスト教徒マロン派民兵組織のファランジュ党(ファランジスト)対イスラーム教徒・パレスチナ人(PLO)の連合軍という構図であったが、途中から隣国のシリア(アサド大統領)が介入、キリスト教徒側についてPLOと闘い、一応は終結させたが、パレスチナ人はレバノン南部に拠点を確保し、PLOもベイルートに残った。それ以後もシリアの影響力が強まったが、1982年にはPLOの排除をめざしてイスラエル軍が侵攻し、首都ベイルートを攻撃した。PLOはそれによってベイルートを退去し、チュニジアに移った。
 またこの時、マロン派民兵ファランジストは、ベイルート周辺のパレスチナ難民キャンプを襲撃して非戦闘員を含む多数を殺害し、その残虐行為は国際的な非難を浴びた。
 レバノンでは80年代後半からはイスラーム教シーア派の民兵組織ヒズボラ(神の党)が台頭し、特に南部では実質的な独自政権を樹立しており、内戦状態が続いている。
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