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レバノン(1) フランス委任統治から独立へ

フランス委任統治領シリアの一部であったが、1943年に分離独立した。その後も内部のイスラーム教徒とキリスト教徒の対立が続き、しばしば暴動が起き、外部勢力の介入の口実とされた。

 地中海東岸に面し、気候の温暖な、生産力の豊かな土地で、かつてはシリアの一部をなしていた。中心はベイルート。古代にはフェニキア人シドンティルスなどの都市を造り、地中海の海上貿易に活躍し、そのころから杉は「レバノン杉」といわれて名産だった。その後、アッシリア、新バビロニア、ペルシア帝国、アレクサンドロスの帝国、セレウコス朝の支配の後ローマ領となる。ビザンツ帝国が衰えてイスラーム化してからは住民の多くはアラブ系となったが、古来キリスト教徒(ビザンツ教会に服さず、ローマ教皇を支持する一派のマロン派)も多い。またアラブ系も、スンニ派、シーア派、ドゥルーズ派などに別れ、宗教的なモザイク地域となっている。
 第一次世界大戦後後、オスマン帝国の支配から解放されたが、セーヴル条約でフランスの委任統治領のシリアの一部とされた。
 → レバノン(現代) レバノン暴動 レバノン内戦 レバノン侵攻

シリアから分離独立

 1941年にフランスはキリスト教徒を保護する名目でシリアから分離させ、1943年に独立した。シリアからの独立に際して有力宗派間で国民協約を締結、大統領はキリスト教マロン派から、首相はイスラーム教スンニ派から、国会議長はイスラーム教シーア派からだすことなどでバランスをとることが決められた。  → アラブ諸国の独立

Episode 「生きた宗教博物館」

 レバノンは古くから「レバノン杉」で有名なところで美しい自然に恵まれた土地。同時に「オリエント地域のあらゆる民族と宗教と民俗をおさめた美しい博物館」と表現さえれている。あまたあるレバノンの宗教のうち、有力なのがキリスト教マロン派で、アラブ人ながらキリスト教に入り、5世紀頃東ローマ教会から分離してヴァチカンのローマ教皇に従うようになった宗派である。このマロン派はキリスト教系であることから早くからヨーロッパ諸国と結び、社会的な上層部に多い。それに対抗するのがイスラーム教シーア派の分派で、異端中の異端と言われるドゥルーズ派で、輪廻転生を信じている。1943年の独立に際しては、マロン派、スンナ派、ドゥルーズ派などで主要ポストは分配する形で妥協が成立した。そこにパレスチナ人が割り込んできたために対立はいっそう複雑、深刻になった。1975年にはパレスチナ人の乗ったバスをキリスト教徒民兵が襲撃して虐殺するという事件が起き、内乱が始まった。<藤村信『中東現代史』岩波新書 1997 p.123>
レバノン国旗 レバノンの国旗 右はレバノンの国旗。レバノンは古代から中東では貴重な杉の産地だった。現在では長い期間の伐採でほとんど残っておらず、わずかに残った杉の巨木は世界遺産として保護されている。

レバノン暴動

 フランス委任統治領のシリアから1943年に分離独立してから、レバノンは宗教各派の勢力の均衡をとりながら、西欧型の経済を発展させてきたが、48年に隣接する南部にイスラエルが建国され、パレスチナ難民がレバノン領内に移住し、民族構成はますます複雑となった。1958年にはエジプトやイラク革命の影響を受けたイスラーム勢力が力を付け、キリスト教マロン派と衝突してレバノン暴動となり、革命を恐れたアメリカが軍隊を派遣して鎮圧した。

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レバノン(2) 内戦とイスラエルの侵攻

1975年、ギリスと強制力とPLOが衝突、1990年までの15年に及ぶ内戦となった。その間、シリアの実質的支配、イスラエル軍の侵攻が続き国土は荒廃した。

レバノン内戦の勃発

 1970年からはパレスチナ解放戦線(PLO)がベイルートに拠点を移し、レバノンの政治を大きな影響を与えるようになた。ついに1975年にキリスト教マロン派の民兵組織ファランジュ党(ファランヘ党、ファランジストともいう)とPLOが衝突し、レバノン内戦に突入した。
 隣国シリアアサド大統領はレバノン内戦に介入し、内戦は複雑な宗教、民族対立を背景とした国際紛争化した。中央政府の統制はとれなくなり、シリアの実質的支配が行われるようになる。

イスラエルのレバノン侵攻

 さらに1982年にイスラエルはベイルートのPLO本部をたたき、パレスチナゲリラの活動を封じるという目的でレバノン侵攻を実行した。このとき、右派民兵組織(ファランジュ党=ファランジスト)がパレスチナ難民キャンプを襲撃し、虐殺事件を引き起こし、国際的な批判が高まった。しかし、PLOはチュニスに退去しパレスチナにおける指導力を失った。

イスラエル軍の進駐と撤退

 レバノン侵攻を行ったイスラエルは、国連安保理の撤退決議にもかかわらずレバノン南部占領した。治安維持のためアメリカ・イギリス・フランスは多国籍軍を派遣したが、パレスチナゲリラの自爆攻撃が激しく、またシリア軍との衝突などもあって撤退した。
 イスラエルは1985年には一方的に「安全保障地帯」を設けて、その後も駐留を続けた。しかし、1990年にはシリア軍が侵攻したためイスラエル軍は後退、しかもレバノン国内のイスラーム教シーア派民兵組織ヒズボラによる抵抗活動が激しくなり、イスラエル兵の死者が増加していった。そのため2000年5月にイスラエルはレバノンから撤退した。

イスラエル軍の進駐と撤退

 レバノン侵攻を行ったイスラエルは、国連安保理の撤退決議にもかかわらずレバノン南部占領した。治安維持のためアメリカ・イギリス・フランスは多国籍軍を派遣したが、パレスチナゲリラの自爆攻撃が激しく、またシリア軍との衝突などもあって撤退した。
 イスラエルは1985年には一方的に「安全保障地帯」を設けて、その後も駐留を続けた。しかし、1990年にはシリア軍が侵攻したためイスラエル軍は後退、しかもレバノン国内のイスラーム教シーア派民兵組織ヒズボラによる抵抗活動が激しくなり、イスラエル兵の死者が増加していった。そのため2000年5月にイスラエルはレバノンから撤退した。その後もイスラエル兵とヒズボラの戦闘は何度か起こったが、次第にヒズボラが優勢となり、レバノン南部を実効支配するようになった。ヒズボラは実効支配地位からイスラエルに対してみさえる攻撃を行い、イスラエルもまた報復空爆をするということが繰り返されている。

反シリアと親シリアの対立

 1990年のシリア軍のレバノン侵攻以来、国内の親シリア派が政権を握ったが、シリアの干渉に対する反発が強まり、国際的な批判も高まったため、2005年には反シリア派の指導者ハリーリが暗殺されたことをきっかけに反シリア、民主化を要求する運動がおこった。ハリー理暗殺の背後にシリアのアサド政権があるとの疑いが強まったことから、この運動はレバノンで初めて、宗派の対立をこえた盛り上がりを見せ、親シリア派は退陣、反シリア派が政権を握った。シリア軍も撤退し、この変革は古来の名産のレバノン杉になぞらえ、「杉の革命」(あるいは「杉の春」ともいうか、定着しなかった)とも呼ばれた。これによってシリアの影響力は弱まり、反シリア派政権が成立したが、南部を実効支配するヒズボラは、反イスラエルの立場から親シリアの態度を変えておらず、レバンは複雑な分裂状態となった。その後も、大統領は選挙で選出されることになっているが、選挙に際して両派が衝突するという事態が繰り返されている。

ヒズボラ

 1982年、イスラエルのレバノン侵攻に抵抗する組織として、レバノン国内にはシーア派武装組織ヒズボラ(ペルシア語発音でヘズボッラー Ḥizb Allāh であり、アラビア語で「アッラー(神)の党」の意味)が生まれ、イランの支援をうけて反イスラエルのテロ行動を展開するようになった。彼らは1985年頃から南部を中心に活動を活発にしてイスラエルへのロケット弾攻撃を展開、イスラエル兵に多数の犠牲が出た。そのため、イスラエルは2000年にレバノン南部から撤退したが、ヒズボラはイスラエルへの攻撃を続けた。
 2006年にはヒズボラがイスラエル兵を拉致したことをきっかけに、イスラエルは再びレバノン南部に侵攻(2006年のレバノン侵攻)したが、国際世論の反発から停戦に応じた。
 イスラーム教過激派テロ集団のひとつと見られているシーア派民兵組織ヒズボラであるが、レバノン政府や国際社会が求める武装解除にも応じず、現在もレバノン南部を実効支配し、住民に病院や学校を提供し、事実上独立した「ヒズボラ国」の状態となっていてレバノン政府の力は及ばない。ヒズボラは宗教指導者ナスララ師のもとで、イスラエルの空爆犠牲者の遺族の保護、病院や学校以外にも町の清掃事業など住民に密着した活動を行い、住民の強い支持を受けている。その点ではパレスチナにおける反イスラエルの武装民兵組織ハマスと共通している。イスラエルが神経をとがらせて対ヒズボラの武装を強め、さらにレバノン国内にも、イランの影響力の強いヒズボラ(その支配地域ではイラン国旗が掲揚されている)に対する反対勢力があり、その存在が今後も安定的に続くか難しい情勢もある。<2010年5月27日『朝日新聞』などにより構成>
 ヒズボラは現在は政治勢力の一つとして、レバノンの国政に参加、選挙を通じて代表をレバノン議会に送り、一定の政治的影響を持つに至っている。しかし国際社会からは依然としてテロ組織と見られており、そのイランやシリア(アサド政権)寄りの姿勢に対してはレバノン内部や他のアラブ諸国からの反発も多い。とくに現在続いているシリアの反アサドを掲げた改革派の蜂起から始まったシリア内戦に関してはアサド政権を軍事支援していると言われている(正式には認めていないが)。
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