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マロン派

レバノン国内のカトリック系キリスト教徒。イスラーム教徒と激しく対立し、中東情勢の不安定要素の一つとなっている。

 中東アラブ世界のレバノンで大きな勢力を持つキリスト教徒(ローマ=カトリック教会)の一派。親西欧の立場で、イスラーム教徒であるパレスチナ難民と対立し、たびたび虐殺事件などを起こしている。

特殊な信仰形態

 マロン派とはもとは5世紀初めに東ローマ帝国内で分化したキリスト教の一派で、修道僧マロンを始祖とする。この地にイスラーム教が入ってくると、迫害を逃れてレバノンの山中で共同体をつくって生活し、キリスト教信仰を守った。十字軍がやってくるとその味方をしてイスラーム軍と戦い、東方教会(ギリシア正教会)の祭式と儀礼を守りながらローマ教皇に帰属するという特殊な信仰形態を持つようになった。その後レバノンではイスラーム教シーア派のドゥルーズ派(ドルーズ派)が勢力をまし、両派は混在しながら対立を続けている。現在はレバノンに約120万、海外に400万の信徒がいる。

マロン派民兵

 キリスト教徒であるためフランスと関係が強く、レバノン独立後も経済的にはマロン派が支配している。イスラーム教とのシーア派、スンナ派と三つどもえの対立をつづける中、ファランジュ党(ファランジスト)という民兵組織を持ち、たびたびイスラーム勢力と戦っている。
レバノン暴動 第二次世界大戦後の、エジプトのナセルなどの指導によるアラブ民族主義が高まる中、1958年にはレバノンにおいてもマロン派キリスト教徒とイスラーム教徒が衝突しレバノン暴動が起き、アメリカが軍隊を派遣したが、国際的な批判の中、同年中に撤兵した。
レバノン内戦 1975年から90年までのレバノン内戦では両派の対立は泥沼化し、マロン派キリスト教徒のイスラーム教徒に対する虐殺行為が国際的な批判を受けることになった。そのころレバノンには、ヨルダンから移ってきたパレスチナ解放機構(PLO)がパレスチナ難民キャンプを拠点に盛んに対イスラエルのテロ活動を行っていた。マロン派はPLO追放を掲げてたびたび衝突していたが、隣国シリアアサド大統領が反PLOの立場で介入し、PLOは南部とベイルート周辺に追い込まれた。さらに1982年にイスラエル軍のレバノン侵攻がおこなわれると、それに呼応して攻勢を強め、その過程でマロン派民兵のファランジストはパレスチナ難民キャンプを襲撃、多数の非戦闘員を殺害し、国際的な非難を浴びることとなった。
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