1週7日制
7日を単位として生活習慣のサイクルとする暦法。バビロニア起源とも言う。ユダヤ教では神が世界を6日間で創造し、7日目に休んだとされ、それがキリスト教にうかつがれローマ帝国領内で広がった。キリスト教文化圏である西欧諸国で一般化し、日本では明治初めに採用された。
1週7日制とは
ほぼ30日続く1ヶ月を幾つかに分けて生活のリズムにしようというのが週であるが、その分割の目安として天空にかかる月が、新月→上弦→満月→下弦→晦(かい)と変化していく周期がほぼ7日であることから、多くの地域で7日を周期とする区分が行われていた。メソポタミア文明のバビロニアにその起源を求める説があるが、週は世界各地で多極的に発生したと考える方が妥当である。キリスト教の週7日はユダヤ教に由来し、旧約聖書の創世記にある神は6日間で世界を創造し7日目に休んだことに倣い、第七日を休息日としたことによる。ユダヤ教、キリスト教では各曜日に曜日名はつけていなかったが、ローマ帝国内で週の習慣が広がって定着した時期に、7日間のそれぞれに太陽、月と5惑星(火水木金土)の名が冠せられた。北ヨーロッパの諸言語では太陽・月・土を除く他の4星の名は消え、北欧神話の神々の名が付けられた。
中国では週に相当するものとして「旬」が使われ、それは1ヶ月を10日ずつ三分する。殷の時代に旬の第一を甲、第2日を乙・・・と呼ぶようになり、それが十干の起源となった。<『世界史を読む事典』岡田芳郎氏執筆の「暦」の項より要約 1994 朝日新聞社刊 地域からの世界史20>
なぜ一週間は七日なのか? ブアスティン説
(引用)“古代ギリシアには週はなかったらしい。ローマ人は八日を一週間として生活していた。農民は畑で七日間働き、八日目には町へ出かける・・・それが市の日(ヌンディナエ)である。これは仕事を休むお祭りの日で、学校も休みになり、公の告示がなされ、友人とのつきあいを楽しむ機会だった。ローマ人がいつ、どんな理由から八日を単位にしたのか、またその後一週間を七日に変えたのはなぜかは明らかではない。七という数字は、世界中のほぼいたるところで特別に扱われている。日本には七福神があるし、ローマは七つの丘の上に築かれた。古代人は世界の七不思議を数えあげたし、中世のキリスト教徒は七つの大罪を戒めた。ローマ人が週を八日から七日に変えたのは、何らかの公的な措置によるわけではなさそうである。紀元前三世紀初頭には、ローマ人は一週間を七日として生活していた。何らかの新しい考え方が広まり、人々の気持ちをとらえたにちがいない。その一つは安息日という考えである。これはユダヤ人を通じてローマにもちこまれたらしい。「安息日をおぼえてこれをきよくすべし」と十戒の第四条に述べられている。(旧約聖書、出エジプト記)・・・・週ごとに、神の被造物は天地創造を模倣したのである。ユダヤ人たちは週を、自分たちが奴隷の身分から解放されたことの記念ともしていた。(旧約聖書・申命記)・・・ユダヤ人が安息日を守るとき、彼らはすべてがくりかえされるという世界の本質を劇的にあらわしていた。そこには、あまり神の言葉とはかかわりのない他の力も働いていた。たとえば、心身を一新したいという人間の欲求である。七日目を休息の日-まさに安息日を意味する-とする考え方は、ユダヤ人のバビロン捕囚(前597)の時代からつづいていたのだと思われる。バビロニアではある特定の日-一月のうち、七日、十四日、十九日、二十一日、二十八日-を祝い、この日には王もいくつかの特別な活動が禁じられていた。”<ダニエル・ブアスティン『どうして一週間は七日なのか』大発見1 1988 集英社文庫 p.40>
宗教で異なる休息日
ユダヤ教の聖典はキリスト教では旧約聖書と言われる。言い換えれば旧約聖書はユダヤ教徒、キリスト教徒の双方にとって聖典である。その創世記の冒頭に神は世界を六日間で創造し、七日目に休まれた、と書いてある。これが文献上の一週間の根拠である。同じく旧約聖書の申命記には「六日間の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」とある。1週間を7日とすることは西アジアに興ったイスラーム教でも同じであり、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教は同じ一神教の神(ユダヤ教では「ヤハウェ」、キリスト教では「父なる神」と呼び、イスラーム教ではアラビア語で「アッラー」という)を戴く。ただし、一週間のうちの何曜日を休日とするかは異なっている。ユダヤ教では土曜日、キリスト教では日曜日とされているが、イスラーム教では金曜日である。これらは本来、休日ではなく、神に祈りを捧げるための日である。<東長靖『イスラームのとらえ方』1996 世界史リブレット15 山川出版社 p.10>