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王家の谷

ナイル川中流のルクソール付近、エジプト新王国時代の歴代ファラオ(王)の墳墓が集中している谷。ツタンカーメン王墓も含まれている。

 古代エジプト文明新王国の歴代ファラオの墳墓が造り続けられ、判っているだけでも60以上が発掘されている。この時期のファラオの墳墓は、古王国のピラミッドではなく、山腹の岩窟に縦横の穴を掘り込んだもので、その奥深くに王墓が治められている。
 この墳墓群は「王家の谷」として知られていたので、その多くは長い間に盗掘が進み、ミイラや副葬品は持ちだされてしまっているのが多かったが、1922年にイギリス人のハワード=カーターが未盗掘の王墓を発見、黄金のマスクなど大量の副葬品を発見、それがツタンカーメン王のものと判明し、いっきに世界的に有名になった。

NewS 「墓泥棒村」強制移転へ

 王家の谷とハトシェプスト神殿などで知られるナイル川中流にあるクルナ村は、昔から「墓泥棒の村」として有名だった。このあたりは「王家の谷」に近く、無数の「貴族の墓」があるが、村は19世紀半ばに5家族が付近の王墓の盗掘を目当てに住みついたのが始まりで、彼らは勝手に王墓の上に家を建て、床下を掘り進めて埋蔵品を彫りだし、売りさばいて収入にしていたという。盗掘したミイラや彫像は、ヨーロッパ各地の古美術商に買い取られ、ロンドンの大英博物館にも何点か買い取っている。金細工は摘発されるのを恐れ、金地金に溶かされたため姿を消している。
 2006年6月15日の朝日新聞は、遺跡保存を目指す政府が「墓泥棒村」クルナ村を強制的に移転させることを決定、それに対して村民は、現在まで盗掘を続けてきた背景には、当局が黙認、むしろ役人や警察と一緒に利益を上げていたと真相を述べている。政府としてはあくまで100年近く続く墓泥棒を根絶するため、村の移転を強行しようとしており、その攻防は続く。<朝日新聞 2006年6月15日付記事におる>