財産政治
古代ギリシアのアテネのソロン改革の一つ。血筋ではなく財産の額によって4等級に分けて、参政権など市民の権利を定めた。
ソロンの改革
古代ギリシアのアテネにおいて、前594年にアルコンとなったソロンが実行したソロンの改革の中の一つ。ポリスの市民を財産によって4等級にわけ、それぞれに権利と義務を定めた。第1の階級「五百石級」はアルコンと財務官になることができ、第2の「騎士級」と第3の「農民級」はその他の役職に就くことができる。そのかわり、第1から第3等級の市民には重装歩兵として従軍する義務を負わせた。第4の等級「労働級」(無産者級)は何の役職に就くこともできなかったが、民会に出席して役人選挙に関与することはできた。<太田秀通『スパルタとアテネ』1970 岩波新書 p.119~120 などによる>
財産による国政参加権の等級づけ
アテネにおいて市民を四級にわける制度はソロンの改革の「財産政治」以前から行われていた。それは軍事的な分担と結びつき、騎士級は文字どおり騎兵となることのできる(つまり、馬を養うことのできる富裕な)市民たちを指し、農民級は武器を自弁して重装歩兵として出陣しうる中堅の市民たちを、労働級(無産者級)は武器を自弁できる経済力がなく軽装兵や艦船の漕ぎ手として働く人々をそれぞれ意味していた。「五百石級」は最上級を意味する呼び名として既にあったらしい。ソロンの着想の新しさは、軍制上の要請に基づく旧来の等級づけを、国政参与の権利を定めるさいに用いた点にある。武具はすべて個人の負担によると言うのがポリスの軍制の原則である。したがって、市民の財力がそのまま国家に対する彼の軍事的な貢献度につながる。家柄や生まれ出なく、財産こそが市民としての政治的発言力を支えるきばんとみなされるべきであるというソロンの考えは、重装歩兵戦術の確立したアテネの現実に適合していた。<伊藤貞夫『古代ギリシアの歴史 ポリスの興隆と衰退』2004 講談社学術文庫 p.175>
ソロンの改革は貴族の寡頭支配である貴族政の枠組みを否定するものではなく、平民の没落と不満の高まりという新しい時代的要請に対応した、まさに「調停」であった。しかし、財産政治は貴族と平民の対立を根本から解消することはできず、両者の対立はその後も続き、そこから生じた政治的混乱の中から独裁者が現れて僭主政の時期となり、ペルシア戦争後の前5世紀後半にアテネ民主政が成立するに至る。
資料 ソロンの財産政治
プルタルコスの英雄伝(『対比列伝』)の一編、ソロン伝に伝えられている財産政治の説明は次のようなものである。(引用)次にソロンはすべての官職を、現行どおり富裕者の手に残しておこうと考えたが、その他の点では民衆が在来あずかり得なかった政権に彼らも仲間入りさせようと企てて、全市民の財産調査を命じた。そして液状のもの、固形のもの(注)を合して五百単位を生産する者を第一級とし、五百石級と名づけた。第二級は馬を飼える者あるいは三百単位を産する者で、これを騎士級と呼んだ。農民級が第三級で、これは両方を合わせて二百単位を産する者であった。残りのすべては労働者と呼ばれ、彼らは官職に就くことは認められなかったが、ただ民会に出席し裁判に出ることだけで国政に参与した。<『プルタルコス英雄伝』上 ソロン 村川堅太郎訳 ちくま学芸文庫 p.125-126>
注 液状のものとはブドウ酒とオリーブ油。固形のものとは穀物