貴族政(アテネ)
古代ギリシアのポリス社会において、王政に次いで出現する政治形態。アテネにおいては前6世紀末には民主政に移行する。
古代ギリシアのポリス(都市国家)において、初期の王政に対して、貴族による寡頭支配(少数者による支配)が行われるようになった段階を貴族政=Aristocracyという。貴族とはポリスの構成員の中で土地などの豊かな財産をもち、武具・馬具を所有して騎士としてポリスの領土拡大や防衛の主力となった人々をいう。
アテネの貴族政
代表的なポリスであるアテネではドーリア人の攻撃をはねのけながらポリスを形成させる過程で、前8世紀ごろまでに貴族が政権を独占するようになった。前683年には貴族の中から選ばれた9人のアルコン(執政官)(任期1年)が政務を担当する、貴族共和政の形態となった。アルコンの任期を終えた貴族が終身議員となるアレオパゴス会議(ローマで言えば元老院にあたる)が国政や裁判にあたっていた。前700年頃のヘシオドスが書いた叙情詩『労働と日々』は、貴族政を批判し、農民の労働を神聖なものとして詠っている。貴族と平民の抗争
つぎの前7世紀末から前6世紀に次第に貨幣経済が進展したことを背景に、平民が重装歩兵として発言力を強める中で、貴族と平民の対立は激しくなっていった。前632年には貴族のキュロンがクーデターで権力を握ろうとして失敗する事件がおこっている。前621年のドラコンの立法、前594年のソロンの改革によって平民の権利が保障されると、貴族と平民の対立を利用して独裁的権力を実現したペイシストラトスの僭主政が現れ、それを克服するによってアテネでは前6世紀末に民主政を確立させることとなる。その段階ではアルコンは平民からも選ばれるようになり、アレオパゴス会議は次第に形だけのものとなっていった。