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ホメロス

古代ギリシアの叙事詩『イリアス』・『オデュッセイア』を作ったとされる人物。その実在は不明な点も多いが、前8世紀ごろ、職業的口承詩人として活躍したと考えられる。

 ホメロス Homeros 英語表記ではホーマー 。ギリシアの古典を代表する叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』の作者とされているが、その生存年代は前9世紀ともいわれるが、前8世紀が有力。ただし、実在していなかったという説も20世紀には出されていて、正確なところはわからない。これらの叙事詩は、前13世紀ごろのミケーネ文明時代に起こったトロイア戦争の出来事が口承されてきたものであろうと考えられ、ギリシアの暗黒時代が終わってポリス形成期に入った前8世紀ごろに文章化されたのではないか、と言われている。やや遅れて、ヘシオドスが『労働と日々』を作り上げており、ギリシア文化史上はアーカイック期とされている。

ホメロス問題

 『イリアス』(イリアッドとも表記)は、英雄アキレウスやアガメムノンが活躍し、有名な「トロイの木馬」の話などを含んでいる。『オデュッセイア』はその続編で、トロヤ戦争後、オデュッセウスが各地を経巡って祖国に帰るまでの話を題材にしている。なお、これらの作品は、ほとんど忘れ去られていたが、ルネサンス期になってイタリアのボッカチオによってそのギリシア語原典が発見され、ヨーロッパに広く紹介されることとなった。
 ホメロスの叙事詩の、文字で書き記され固定化された時代ではなく、ほぼこんにちに近い形にまとまった時代がいつのころであったかの問題は、「ホメロス問題」といわれる複雑な専門的な問題圏を形作っているが、現在ではほぼ紀元前8世紀ごろとされている。とすると、そこで描かれている時代とはおよそ4百年のひらきがある。その4百年の間、物語は吟遊詩人に口承詩として伝承され、貴族の館や一般民衆の参加する祭典などで歌い継がれてきたのであろう。<弓削達『地中海世界』新書西洋史② 1973 講談社現代新書 p.31-32>

参考 ヘロドトスのホメロス伝

 ヘロドトスが書いたと言われるホメロスの伝記がある。これはローマ時代にヘロドトスに仮託されて書かれた偽書で、正確な歴史的事実を述べたものではないが、「ホメロス物語」として読めば面白い内容である。簡単に紹介しておこう。
 小アジア西岸にアイオリス系の古都キュメの町で早くに両親を亡くした女の子のクレティスは養父に養われていたが、名も分からぬ男とを情を通じ、身重になってしまった。不祥事に怒った養父はクレティスを新しい町スミュルナの知り合いに預けた。メレスという川のほとりの祭に出かけた夜、クレティスは一人の男の子を産んだ。クレティスは男の子にメレス生まれに因んでメレシゲネスと名付けた。クレティスは母一人で手仕事をしながら力のおよぶ限りのことをして子供を教育した。
 メレシゲネスは素質に加えて訓練と学習を重ね、スミュルナの町で学塾の教師となった。商業の町として栄えていたスミュルナは各地から商人が集まっていたが、その一人がメレシゲネスに町を出て船で商売をしようと持ちかけた。そのころ詩作に心を動かされていたメレシゲネスは、広い世界の知識を得ようと、学塾を閉じて船旅に出た。
 エトルリアとイベリアを回って帰る途中、イタケに立ち寄った。この地でメレシゲネスはオデュッセウスの様々な伝承を知ることができたが、眼を患ってしまった。さらに旅を続けたが、コロポンに着いたとき、眼病が再発し、ついに盲目になった。明を失った彼はスミュルナに戻り、詩作に専念するになった。その後も各地を放浪しながら詩作を続け、故郷のキュメに帰った。
 メレシゲネスは、キュメの町で年寄りたちに自作の詩を聞かせ、一同はその芸に感服するようになった。生活に困っていたメレシゲネスは人の勧めもあって町の議会に行き、公費によって扶養してほしいと請願した。議員の多くは賛成したが、王の一人がメレシゲネスを公費で扶養すれば、他の盲人たちも同じ要求をするだろうとして反対し、請願は通らなかった。この時から、メレシゲネスよりも盲人を意味するホメロスと呼ばれることが多くなった。
 その後、ホメロスは数々の苦難を味わいながら、詩作を続けた。こうした詩作によって、ホメロスの名はイオニアだけでなく、ギリシア本土(ヘラス)にも広がった。キオスに住んだホメロスのもとに、アテナイに来ないかと誘う人もあり、ホメロスはその気になり、イリアスとオデュッセイアの中に、アテナイのことを盛り込んだ。サモスからアテナイに渡ろうとして、イオス島まで行ったが、そこで気分が悪くなり横になっていると、漁師の子供たちが
 捕らえたるは捨て置きたり。捕らえざりしはここに持つ。
という詩の意味は分かるかとからかった。ホメロスはそのなぞなぞが分からぬまま死んだと言われるが、そうではなく死因はやはり病であった。
 漁師の子の詩のなぞなぞは、漁で魚が一匹も捕れなかったので陸に上がって坐り、虱捕りをしたのだが、つかまえた虱はそこに捨て、とり損なった虱は身体に着いたままでいるという意味だった。
<ホメロス/松平千秋『イリアス』下 1992 岩波文庫 付録「ホメロス伝」p.455-486>