ガール橋/ローマの水道
古代ローマは高度な建築技術により水道網を建設し、帝国各地に及んだ。その代表的な建造物が南フランスに造られたガール橋である。
ローマ帝国では首都ローマへの上水供給のために水道網を建設した。ローマだけでなく、属州の諸都市向けにも水道網が整備され、水道橋や水道トンネルが建設された。特に水道橋は、ローマ文化の高度な建築技術を示すもので、ローマ帝国滅亡後も使用され、現在でも一部利用されているものもある。また、帝国の属州であった地中海世界各地に造られており、各地のその遺構が残っている。水道橋は水道が谷や低地を越えるところに設けられ、アーチ型の石積み、コンクリートの水路が高度な建築技術が用いられていた。
属州の都市にに向けても同様の水道が建設されており、その代表例が南フランスのガール橋であり、その他にもスペインのセゴビアなど各地にも残されている。
水道はローマにとって極めて重要な公共事業であったので、共和政・帝政期を通じて専門の監督官が責任を持って管理していた。
水質はすべて均質だったわけではなく、水源地によっても違いがあり、水道橋が高いほど水質が良かった。ローマで最も水質が良いのは遙か遠い泉から水を引いているウィルゴ水道で、新たな水源を探していた兵士たちに泉の場所を示した娘に因んで命名されたという。
導水管のほとんどは鉛製なので鉛中毒が起こった。しかしローマ人は新鮮な水がつねに供給されることのほうが公衆衛生上重要だと考えていた。
公共の水道は無料だが、上級階級が庭園に散水するなど余分に使う場合は税を納めなければならなかった。そこで水道から水を盗んで自分の土地にこっそり散水しようとする者もいた。それが見つかった場合にはその土地を没収される。それを取り締まるのが水道監督官だが、彼らはまずこれ見よがしに違法な導水管を破壊してから、その管がまた付け替えられたときは見ないふりをして賄賂を受け取り、引退後に備えて蓄財に励んだ。<フィリップ・マティザック/安原和見訳『古代ローマ旅行ガイド』2018 ちくま学芸文庫 p.36-38>
世界遺産 ガール橋
特に南フランスのニーム近郊にあるガール橋 Pon-du-Gard (ガール水道橋)は、帝政初期に建設され、高さ54m、長さ300mの三段構造で、中段に11、下段に6のアーチが最上段の水道を支えている。ニームの市街地に水を供給するためのもので、ガルドン川という川がつくる谷を越えるために造られた。驚異的な古代建造物の遺跡として、現在、世界遺産に登録されている。 → YouTube ガール水道橋 UNESCO-NHKローマの水道
都市ローマに水を供給するための水道が最初に建設されたのは、前312年のアッピア水道と言われている。よく知られたアッピア街道と同じく、盲目のアッピウス=クラウディウスが建設した。他に、前144年にクイントゥス=マルキウス=レクスが建造しローマのカピトリヌス丘とクィリナス丘に同時に水を供給しているマルキア水道、前125年に同じくローマに水を供給するために多くの部分を地下水道として建設したテプラ水道、前33年アグリッパ(アウグストゥスの盟友)が建設し、一日5万立方mを越す水を供給したユリア水道がある。帝政時代に入ると、アウグストゥス帝のアルシェティナ水道、カリグラ帝が着手しクラウディウス帝のとき完成したクラウディア水道、トラヤヌス帝のトラヤナ水道などが建設された。ローマの水道は後3世紀前半までに11の水道が造られ、ティベル川や周辺の湖から人工水路で水を引き、浴場や噴水などの公共施設に給水された。このような豊富な給水が可能になったことによって、ローマには多くの公共浴場が作られた。その中でもカラカラ帝が建造したものが有名で、現在も遺跡として残っている。属州の都市にに向けても同様の水道が建設されており、その代表例が南フランスのガール橋であり、その他にもスペインのセゴビアなど各地にも残されている。
水道はローマにとって極めて重要な公共事業であったので、共和政・帝政期を通じて専門の監督官が責任を持って管理していた。
(引用)ローマ市の壮大さを実感したければ、水道橋を見るのが一番だ。市から60キロ以上離れたところからでも、延々とどこまでものびる水道橋が地平線に見てとれる。水道橋は巨大に見えるが、じつはローマ市の水道網のごく一部にすぎない。水道網の全長は400kmを越えているのだ。山を貫き川をまたぎ、ひじょうに頑丈に建設されているから、1800年使われたあともなお一部は役に立っている。こんな公共設備はおそらく世界で唯一だろう。<フィリップ・マティザック/安原和見訳『古代ローマ旅行ガイド』2018 ちくま学芸文庫 p.33>
Episode ローマの水道事情
ローマの水道は底をコンクリートで防水加工され、流れる向きは青銅製の弁で調節する。起点の貯水池は深い池になっていて異物が沈殿して流れこまないようにしている。導水管はローマのほとんどすべての四つ角にめぐらせられており、一日になんと9億リットルもの水が供給されていた。水質はすべて均質だったわけではなく、水源地によっても違いがあり、水道橋が高いほど水質が良かった。ローマで最も水質が良いのは遙か遠い泉から水を引いているウィルゴ水道で、新たな水源を探していた兵士たちに泉の場所を示した娘に因んで命名されたという。
導水管のほとんどは鉛製なので鉛中毒が起こった。しかしローマ人は新鮮な水がつねに供給されることのほうが公衆衛生上重要だと考えていた。
公共の水道は無料だが、上級階級が庭園に散水するなど余分に使う場合は税を納めなければならなかった。そこで水道から水を盗んで自分の土地にこっそり散水しようとする者もいた。それが見つかった場合にはその土地を没収される。それを取り締まるのが水道監督官だが、彼らはまずこれ見よがしに違法な導水管を破壊してから、その管がまた付け替えられたときは見ないふりをして賄賂を受け取り、引退後に備えて蓄財に励んだ。<フィリップ・マティザック/安原和見訳『古代ローマ旅行ガイド』2018 ちくま学芸文庫 p.36-38>