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密教

ヒンドゥー教の呪術的要素と融合して生まれた大乗仏教の一派。中国、日本にも伝えられ仏教の主流となった。

 インドに大乗仏教が成立して、広く衆生の救済をめざすこととなると、民間のヒンドゥー教の呪術的な信仰と融合し、秘伝的な儀式(護摩を焚くなど)や修行、曼荼羅などの神秘的な図像、声明などの音響的な効果などを秘密仏教が生まれた。そのような仏教の教義は一般人には理解できないものなので密教(タントラ)といい、それに対して経典によってその教えが示されていて誰でも解明できる仏教を顕教という。

大乘仏教の二側面 顕教と密教

 このような大乗仏教の二面を併せて顕密という言い方をする。密教は6世紀ごろベンガルやカシミールに起こり、チベット仏教にも取り入れられ、中国にも伝わって中国仏教の中で独自に発展し、真言宗が成立した。真言宗は平安時代に空海が日本に伝え、東密と言われる。天台宗を伝えた最澄も密教を学んでおり、天台宗の密教は台密という。

インドの密教

(引用)密教は、その姿勢が現実にまた民衆に迎合するにつれて、次第にその宗教性を失って行き、またヒンドゥー教的要素の増大と共に、逆にヒンドゥー教に吸収されて行く。一時さかんに燃えあがった密教はその炎がめざましいものであっただけに、その凋落はまことに痛ましい。そしてそれが仏教の最後の形となった。
 ……密教は現世的であるという特色から、政治と結びつきが深い。とくにグプタ朝、パッラヴァ朝、パーラ朝などの庇護を受けており、その中でも、ベンガルとオリッサ(東インド)を支配したパーラ朝の最初・最大の王ゴーパーラ(770年ころ即位)は、ガンジス河畔に壮大なヴィクラマシラー寺院を建立し、その下に百八の寺院を擁し、インド各地はもとより、チベット、ネパール、中国、ジャヴァ、スマトラなどの留学生もここで学んだ。
 パーラ朝は4世紀の間続いたが、1199年に滅亡する。引き続いてヴィクラマシラーの大寺院は、イクティヤール・ウッディーンの率いるイスラーム軍によって、1203年、わずかな遺蹟も残さず徹底的に破壊し尽くされ、財産はことごとく強奪され、ビク・ビクニは殺された。その徹底した破壊によって、現在なおヴィクラマシラーの所在さえ確かめられない。ナーランダその他の仏教寺院も、同じころ、同じ運命にあい、寺院破壊・仏教徒虐殺という一大悲劇をもって、インド仏教の伝統の終末が告げられる。<三枝充悳『仏教入門』1990 岩波新書 p.240>