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ビルマの仏教

スリランカから上座部仏教が伝えられ、盛んに仏塔・寺院が建設された。

 ビルマ人はモン人を征服する過程で、モン人から上座部仏教を受け入れたが、初めは大乗仏教およびヒンドゥー教も同時に信仰され、それらの要素が入り交じっていた。12世紀中頃にスリランカから上座部仏教のマハー・ヴィハーラ派(大寺派)が伝えられた。この派はスリランカ王パラークラマ1世が改革したもので、パーリ語による仏典研究、僧院の修行規定などを重視し、パガン朝の王が帰依することとなり、主流となった。こうして大寺派の上座部仏教がビルマに定着し、13世紀にはタイ、カンボジア、ラオスに広がり、東南アジアの民衆の篤い信仰を受けるようになった。<石澤良昭/生田滋『東南アジアの伝統と発展』1998 中央公論社 p.200-202>

仏塔・寺院の建設

 11世紀中頃から13世紀までのパガン朝では上座部仏教が篤く信仰され、盛んに仏塔・寺院が建造され、建寺王朝といわれた。その建築様式はインドの影響を受けているが、次第にビルマ独自の様式を強めていった。仏塔(ストゥーパ)はインドに起源を持つがビルマで段状の基壇を持つ巨大なものがつくられるようになった。ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダがその代表的なものである。寺院建築も大型化し、全盛期の12世紀初頭のアーナンダ寺院(パガン)などが有名。いずれにせよパガン周辺にはいたるところに仏塔・寺院を見ることができる。
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