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ビルマ人

中国南部から東南アジア西部に広く居住する民族。チベットから南下して10世紀にパガン朝を建設。一時衰えたが、タウングー朝で復興。18世紀のコンバウン朝の時、隣国タイに侵攻。19世紀にはイギリスの植民地支配を受ける。

パガン朝

 ビルマ人はもとチベットから中国甘粛省のあたりに居住し、南詔に属していたらしいが、8、9世紀ごろから南下し、イラワディ川流域の平地に定住するようになった。先住民である中流のピュー人や、下流のモン人を征服しながら、文字や上座部仏教を彼らから受け入れ、潅漑農業を学んで勢力を強め、11世紀までにビルマ最初の統一国家パガン王国をつくった。

タウングー朝、コンバウン朝

 パガン朝は13世紀に元のフビライ=ハンの侵攻を受けて都パガンを占領されたことによって急速に衰退し、イラワディ流域にはモン人のペグー朝が登場するが、ビルマ人はやがて復興し、16世紀にタウングー朝(トゥングー朝)を建てた。18世紀に興ったコンバウン朝もビルマ人主体の国でアラウンパヤーのもとで強大となった。コンバウン朝は東のタイを侵略し、アユタヤ朝を滅ぼすなど、ビルマの最盛期をもたらした。しかし、西隣のインドを植民地にしたイギリスの勢力がビルマにも及び、3次にわたるイギリス=ビルマ戦争に敗れてビルマ王国は滅亡し、1886年にイギリス領インドに編入さた。
 現在のビルマにおける多数民族であり、ビルマ人だけではなくモン人やシャン人、カチン人、カレン人などさまざまな少数民族が存在している。また多くは仏教とであるが、最近は西南部のイスラーム教徒ロヒンギャとの問題が表面化している。 → ビルマ 
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