パガン朝
11~13世紀、ビルマ人が建国した王国。仏教を保護し、建寺王朝として知られる。13世紀後半、元軍の攻撃を受けて衰えた。
現在のミャンマーの風景。
建寺王朝といわれた時代のパゴダが林立している。
Episode 建寺王朝、仏寺成って国滅ぶ
パガン朝の寺院建築は、マルコ=ポーロの『東方見聞録』にも、「太陽の光に触れては燦然と輝き、はるか彼方からでもその光輝を望見できる」美しい大塔のことを伝えている。王たちは仏教に深く帰依し、自ら僧院生活を送り、寺院建築に打ち込んだ。最後の国王ナラティハパテ王も6年かかってパゴダをつくったが民衆から「仏寺成って国滅ぶ」といわれた王であった。<石澤良昭/生田滋『東南アジアの伝統と発展』1998 中央公論社 p.200-202> → ビルマの仏教元の侵攻で衰退
しかし仏塔・寺院の建造に力を入れすぎて13世紀後半には国力は衰亡し、雲南地方を併合した元のフビライはパガン朝に対して四度にわたり入貢と臣従を要求したが、ナラティハバテ王はそれを拒絶した。そのため元軍は1287年に首都パガンを攻撃して占領、約250年続いたパガンは崩壊した。その後、パガンの王は元に従属するかたちで統治をゆるされたが、上ビルマ地方の新興勢力のシャン人が実権を握り、パガン朝は消滅した。パガン朝は元の攻撃でただちに滅亡したのではないが、それを契機にして力は急速に衰え、内紛も起こったためまもなく滅亡するした(年代には諸説ある)。パガン朝後の分裂期
その後、ビルマは分裂状態となり、上ビルまではシャン人(タイ系)がモンゴル軍を撃退、下ビルマではペグーを拠点としたモン人のペグー朝が台頭、さらにビルマ人はタゥングーで勢力を盛り返し、ビルマは分裂状態となる。その中から次第にビルマ人が優位に立ち、1531年にトゥングー朝を建て、まもなくビルマを再び統一する。