秦漢時代からつづく
中国王朝のベトナム支配(ベトナム2)をようやく終わらせたのが1009年に
ベトナム人の李太祖(李公蘊)がひらいた李朝である。李朝は、1054年に国号を
大越国とした(中国からは安南国といわれる)。北部ベトナムの
紅河(ホン河)下流のデルタ地帯の治水事業を行い、都昇竜(後の
ハノイ)を中心に国力を充実させた。
李朝では、中央官庁を中国風に整備し、1075年には
科挙を導入し官僚制を整備した。また儒教・仏教・道教をともに保護した。1075年には宋の神宗が
王安石の進言をいれ、大越国遠征を行ったが、李朝はそれを撃退し、以後は宋と対等な外交を展開している。1225年、女帝昭皇を最後に滅亡した。