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平準法

漢の武帝の財政安定策の一つ。ある商品の価格が下がった時に政府が買い取り、その価格が上がった時に売却して物価安定を図るとともに、利益を国家財源に充てた。

 漢の武帝は、匈奴などに対する外征によって枯渇した国家財政を再建するために、増税政策・塩・鉄・酒の専売制などを進めたが、その財政安定策の一環として、均輸法とともに財務官僚である桑弘羊(そうくよう)の提言により、前110年から実施された。

平準法のねらい

内容 前110年(元封元年)、桑弘羊は治粟都尉という国家財政を主管する立場に立った。5年前の均輸法の実施後、中央の官庁はそれぞれ官吏を地方に派遣して必要物資を購入していたので、その競争によって物価が高騰し、輸送費すらも償わないという事態がおこった。そこで桑弘羊は各郡国に均輸官を増設し、それぞれの地方において、物価低落の場合に買い付けを行って物価を引き上げる方策をとり、一方では、首都長安に平準官を設置して、地方で購入した物資をここに貯蔵し、物価が騰貴すると、これを販出して物価を引き下げることとした。
狙いと効果 目的は物価を調整するとともに政府みずからが物資の購入と販売とを行って、国家財政の収益を上げようとしたことである。したがってこの平準法は、均輸法と結合して、大商人には大きな打撃を与えることとなった。
 これによって国家財政は、塩鉄の専売制の効果も加わって、危機を免れることができた。一年間で首都の倉庫には穀物が充満し、首都の均輸官に集積された帛(絹布)だけでも5百万匹に達したと言われる。<西島定生『秦漢帝国』1997 講談社学術文庫版 p.247-248>
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西嶋定生
『秦漢帝国』
1997 講談社学術文庫