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三省六部

中国の唐王朝の中央政治機構。多少の変更が加えられながら、基本的には明清まで継承され、その名称の一部は近代の日本でも用いられた。

 三省とは、の政治の中枢で皇帝に直属する三機関。中書省門下省尚書省をいう。国家の最高意志である皇帝の詔勅は、中書省で起案され、門下省が審議した上で決定され、尚書省で執行されるという形をとり、起案→審議→執行を分離して貴族合議制をとることによって皇帝権力の独走を抑えるしくみになっていた。唐制では審議機関である門下省が設けられたことが重要で、貴族による皇帝独裁のチェック機構として意味をもったが、宋以降の王朝では次第に機能しなくなる。

六部

 リクブ、とよむ。三省の一つの尚書省の管轄下にある六つの行政機関。吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部の六部門からなる。この分担は隋代にほぼできあがった。それぞれの長官を○部尚書とい。六部の体制はその後も中国の中央行政機関として維持されるが、元代には中書省の管轄に移され、明代に六部は皇帝直属となり、清にも継承される。

六部の分担

吏部 リブ。官吏の選任事務を管轄する。現代の日本で言えば、人事院。当初は科挙も担当していたが、736年に科挙(公務員資格試験)は教育部門を担当する礼部に移り、吏部は科挙合格者などを対象に官吏採用試験である吏部試を実施し実際の採用事務を行った。
戸部 コブ。戸籍及び財政事務を管轄する。現代日本の財務省兼総務省か。
礼部 レイブ。礼制、祭祀に関する事務を司る。官吏登用の前提の資格試験である科挙は当初吏部の担当であったが、736年からはこの礼部の管轄となった。教育部門も管轄したのでいわば現代の日本で言えば文部科学省が近い。
兵部 ヘイブ。軍事を担当し、全国の折衝府を管轄した。さしずめ防衛庁。
刑部 ケイブ。裁判(司法)を担当した。法務省と裁判所。
工部 コウブ。土木を管轄した。国土交通省。

三省の意味

 南北朝までは皇帝(天子)の意志を拘束する制度は無かったが、唐では皇帝の意志決定と実行のプロセスにおいて合議制の要素を取り入れ、皇帝が独断で決定・実行できなくするとともに、責任を集中させることを防いだ。唐の制度では中央政府に三省がありその長官として宰相を置き、中書省では皇帝の政策の決定に与り、それを実行するのが尚書省であった。最も大きな特色がこの中間に門下省があることで、そこで中書の決定した政策を審議する役とされた。門下省の長官を侍中といい、その下に諫議大夫を置いた。これがすなわち諫官である。一言で云えば門下省は天下の輿論を代表する機関である。輿論と云っても現代の選挙による国民の意志の決定とは全く異なり、諫官は狭い貴族社会から選ばれるに過ぎないが、その言論は儒教の精神という当時の普遍的な価値を基準とした正義を実現しようとする機能を持っていた。<宮崎市定『大唐帝国』中公新書 p.350>
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