唐は、7世紀後半の
則天武后の時代、律令体制を整備し科挙官僚による統治体制を作り上げたが、その没後に中宗の皇后韋后が政治の実権を握ろうとして
710年に中宗を殺害するなどの混乱が起こったが、皇子の李隆基が韋后を殺害して、いわゆる「
武韋の禍」を収束した。
712年に李隆基は第6代皇帝
玄宗として即位した。
玄宗による律令体制の整備
玄宗は、開元元年(
713年)から開元律令の制定など、
律令制度の整備に努め、
科挙出身の有能な官吏によって民政安定策が推進された。この時期は貞観末年の741年まで続き、唐王朝でも7世紀前半の
貞観の治と並んで、政治の安定した時代とされている。