宋(北宋)の皇帝直属軍である
禁軍を管轄する役所。枢密院は唐に始まるが、宋で軍事統制機関として重要になった。宋では行政担当の
中書門下省(門下省を吸収した)と枢密院が、両府(二府)と言われて国家の重要政務機関として機能していた。宋では
文治主義がとられたため、枢密院は文官であり、直接指揮権を持つことはなかった。以後の遼、金、元の王朝でも軍制機関として枢密院が置かれた。
後の日本の明治時代、1888年、憲法制定の機関として枢密院が設けられ、明治憲法下では天皇の再興諮問機関となり、明治維新の元勲が天皇によって任命され、議会政治・政党政治を牽制する役割を担った。