ヤサ
モンゴル帝国のチンギス=ハンが制定したとされる法令。
チンギス=ハンが制定したとされる法令。一般的には1206年にクリルタイでハン(汗)の位についたときに、チンギス=ハンが「大ヤサ」を制定し、その後補足されながら、モンゴル帝国の法源とされたと言われている。しかし、「大ヤサ」の原文は残っておらず、チンギス=ハンの時に制定されたことには否定的な見解もある。ただ「ヤサ」の制定は『元朝秘史』や『集史』で取り上げられているが、実際にはチンギスハン以前からのモンゴルの慣習法や、チンギス=ハンの言行、クリルタイでの決定事項の記録などが文字化され、そのもとは「大ヤサ」であったと考えられるようになったものであろう。<D.モーガン『モンゴル帝国の歴史』1986 角川選書 杉山正明・大島淳子訳 p.91-95>
モンゴルには成文法は無く、チンギス=ハンが定めた「ヤサ」(またはヤサクはトルコ語。モンゴル語では「ジャサ」またはジャサク)は口伝で伝習された、おそらく現実には軍律であった。ウイグル人などの「トレ」という慣習法の影響もあったらしい。<杉山正明『モンゴル帝国の興亡』1996 講談社現代新書 下 p.194>
モンゴルには成文法は無く、チンギス=ハンが定めた「ヤサ」(またはヤサクはトルコ語。モンゴル語では「ジャサ」またはジャサク)は口伝で伝習された、おそらく現実には軍律であった。ウイグル人などの「トレ」という慣習法の影響もあったらしい。<杉山正明『モンゴル帝国の興亡』1996 講談社現代新書 下 p.194>