印刷 | 通常画面に戻る |

ウルス

モンゴル語で「国家」を意味する語。モンゴル帝国はモンゴル時代には「大モンゴル=ウルス」、元は「大元ウルス」といわれ、いわゆるハン国も当時は「ウルス」とされていた。

 チンギス=ハンが建設した国家は、モンゴルでは「ウルス」と言われた。モンゴル語で「国家」や「政治集団」を意味し、トルコ語の地域や都市を意味するウルシュからきた言葉と考えられている。モンゴル帝国は当時は「大モンゴル=ウルス」つまり「大モンゴル国」と言われていたが、やがて領土が子や孫に分与されると、それぞれが「ウルス」として分離し、モンゴル帝国はウルスの連合体という形態となった。後の中国を支配した元も正式には大元ウルスといった。一般にキプチャク=ハン国と言われるのはジョチ=ウルスイル=ハン国と言われるのはフラグ=ウルスというのが正しい。

チンギス=ハンの国家

 チンギス=ハンは、三人の息子、ジョチ・チャガタイ・オゴデイにそれぞれ4つの千戸(軍事行政組織としての千戸制で組織された単位)を分与して王国の西方(アルタイ山脈方面)に配置して諸子ウルスとし、右翼には三人の実弟の系統にそれぞれ1、3、8個の千戸を与えて王国の東方(興安嶺方面)に配置して諸弟ウルスとした。この東西には位置した一族王家の中央に、チンギス自身と末子トゥルイに直属する千戸群が、やはり東西に分属していた。チンギス自身はケシクという近衛軍団をつくり4ヶ所に分置したオルドと呼ばれる天幕群からなる遊牧宮廷を守らせた。つまり、チンギスの新王国は、中央にチンギスとその天幕群(オルド)とそれを守る近衛軍団(ケシク)を置き、左右に直属の千戸群から構成され、その外側に同様な構成をもつ左右三個ずつの一族王族が配置された。これが後のモンゴル=ウルスのすべての原型である。<杉山正明『モンゴル帝国の興亡』1996 講談社現代新書 上 p.42-45>

ウルスとは何か

(引用)「ウルス」ということばそのものは、モンゴル語である。じつは、外蒙を国域とする現在のモンゴル国も、「モンゴル・ウルス」というのが本当の名である。「ウルス」は、トルコ語の「イル」もしくは「エル」に相当する。6世紀から8世紀に、モンゴル高原を中心として、中央ユーラシアの天地に雄飛したいわゆる突厥、すなわちチュルク帝国も、その本質は牧民連合体であり、それを「イル」もしくは「エル」といった。
 ようするに、モンゴル語の「ウルス」は、その流れをくみ、ユーラシアの内側の世界に生きる遊牧民たちに独特の集団概念といっていい。辞書・事典ふうに語釈をすれば、「ウルス」も「イル」「エル」も、「人間の集団」を原義とする。そこから、部衆、国民(くにたみ)、さらには国(くに)そのものも意味することになる。現在のモンゴル国の「国(ウルス)」は、まさにその意味で使っているわけである。……
 ただし、農耕地域における国家や、西欧型をモデルとする近現代の国家とはちがい、土地や領域の側面での意味合いは限りなく希薄で、あくまで人間集団にウェイトがおかれている。つまり、固定された国家ではなく、人間のかたまりが移動すれば、「国(ウルス)」も移動してしまう類の、国家としてである。その意味では、はなはだ可動性にとむ、融通無碍な国家であった。
 超広域の巨大帝国に発展するもとの「モンゴル・ウルス」とは、そういう集団概念なのであった。人のかたまりをもとに、可変性と移動性を本質とする「ウルス」という国家意識――。これこそ、モンゴルの驚異の拡大の鍵である。<杉山正明『大モンゴルの時代』1997 世界の歴史9 中央公論新社 p.108>

参考 ウルスという世界史用語

 モンゴルの国家を「ウルス」と説明することは、多くの教科書が採用するようになった。しかし、山川出版社の『詳説世界史B』2016年版では、まだ採用されていない。同社の『世界史B用語集』は、2019年版からウルスの項が立てられるようになった。実教出版の教科書ではキーワードとして取り上げ、同社の用語集にも記載が見られる。「ウルス」という用語も一般化する勢いだが山川だけが遅れている感がある。
 ところが、詳説世界史の2013年版では、見出しは「モンゴル帝国」だが、本文では「大モンゴル国」という表記に変化している(現行版の2016年版も同じ)。モンゴル帝国についての評価、捉え方はまだまだ流動的なようだ。
印 刷
印刷画面へ
書籍案内

杉山正明
『モンゴル帝国の興亡』上
1996 講談社現代新書

杉山正明
『大モンゴルの時代』
世界の歴史 9
1997 中央公論新社