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オゴタイ/オゴデイ/オゴタイ=ハン

モンゴル帝国の第2代のハン。1234年に金を滅ぼし、新都カラコルムを建設。バトゥに西方遠征を命じた。

 チンギス=ハンの第3子。オゴデイとも表記。1229年クリルタイで推されてモンゴル帝国の第2代のハン(厳密には、オゴタイの時から「ハーン」を称した。)となる。元が成立してからは廟号として太宗という。在位1241年まで。
注意 オゴタイかオゴデイか なお、最近は「オゴタイ」ではなく「オゴデイ」と表記するのが正しいという説が有力になっておいる。教科書では現在もオゴタイとするのが多いが、オゴデイと表記するものもあらわれている。2019年度現在では、山川出版社の教科書『詳説世界史B』、『世界史用語集』はいずれも「オゴタイ」であるが、「オゴタイ=ハン」という表記は消えている。「オゴデイ」を採用しているのは帝国書院『新詳世界史B』が確認できた。

モンゴル帝国の展開

 まず、1234年に中国の金を滅ぼし、翌年、モンゴル高原に新都カラコルムを建設、その他、駅伝制(ジャムチ)の整備、戸口調査などを行い、モンゴル帝国の基礎を築いた。チンギス=ハンに続き、契丹人の耶律楚材を官僚として重用した。1235以降、バトゥを西方に派遣し、ロシアを制圧し、東ヨーロッパに侵入させた。

オゴタイ死後の混乱

 1241年に病死し、第3代ハン位は長子グユクに継承されるが、グユクが急死した後、チンギス=ハンの末子トゥルイの子のモンケが、クーデターによってオゴタイ家とチャガタイ家の勢力を一掃し、第4代ハンとなった。

Episode 対金戦争の英雄、トゥルイの不可解な死

 新帝オゴタイはほとんど実戦することなく、英雄は三峯山の戦いを勝利に導いたトゥルイ(チンギス=ハンの末子)だった。ところがトゥルイは兄オゴタイと一緒に北に帰る途中急死した。「病を得た兄オゴデイの身代わりになると言って、酒杯を飲み干し、意識が混濁してみまかったという。奇妙な美談である。」モンゴルの正史である『集史』はイル=ハン国で作られた。イル=ハン国をつくったフラグはトゥルイの子であったので、『集史』ではオゴタイとトゥルイの間に確執があったとは書きたくなかったのであろう。<杉山正明『モンゴル帝国の興亡』上 講談社現代新書 p.63>

実在しなかったオゴタイ=ハン国

 オゴタイの死後、オゴタイ家はオゴタイ=ハン国を建てたと言われていた。日本では長く、モンゴル帝国がオゴタイ=ハン国を加えて、「四ハン国」に分裂した、と説明されていたが、現在ではオゴタイ=ハン国の実在はほぼ否定されている。従って四ハン国という説明も行われなくなっている。
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書籍案内

杉山正明
『モンゴル帝国の興亡』上
講談社現代新書