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郭守敬

13世紀後半、元のフビライに仕えた科学者。運河開削などとともに暦法改定にあたり、イスラーム天文学の観測技術を取り入れて、授時暦をつくった。

 郭守敬(かくしゅけい)はフビライ=ハンに仕えた官僚であり、科学者であった。大都(現在の北京)に通じる運河の通恵河を開通させる業績を上げ、さらに天文暦法で知られていた。

授時暦を作成

 1276年、フビライ=ハンの命令によって暦法の改定にあたることとなった。中国では古来、太陰太陽暦が用いられていたが、郭守敬はイスラーム天文学で用いられていた観測器機や天文台を作り、理論計算面を担当する王恂と協力して、1280年に新暦法を完成させた。その暦法はフビライ=ハンから「授時暦」という名を賜った。彼の開発した赤道座標系による渾天儀は原理的には今日のものと同じで、中国天文学の最高の到達点を示すものである。<『世界史を読む事典』朝日新聞社編 地域からの世界史20 p.481>
 郭守敬は「簡儀」「仰儀」「高表」などの天体観測機を発明し(その実物は残念ながら残っていない)、太陽の角度を正確に計測して夏至・冬至の時期を計算し、1年の正確な日数を割り出し、それをもとに1280年に「授時暦」という新しい暦法を作った。さらに「七宝燈漏」という大型の機械時計を考案した。<陳高華『元の大都-マルコ=ポーロ時代の北京』佐竹靖彦訳 中公新書 p.174>