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アブー=アルアッバース

750年、イスラーム帝国のアッバース朝を創始したカリフ。シーア派などの不満を利用してウマイヤ朝を倒した。751年には中央アジアに進出しタラス河畔で唐軍と戦った。

 アッバース朝を創始したカリフ(在位750~754年)。アッバース家はイスラーム教の創始者ムハンマドの叔父のアッバースの子孫で、イラクのクーファを拠点に、シーア派のアラブ人や、非アラブ人に支持を広げ、さらにイランのホラーサーン地方出身の部隊を戦力として反ウマイヤ朝運動を続けていた。

アッバース朝を創設

 749年、当主アブー=アルアッバースはカリフを称してムハンマド伝来の黒旗を掲げた。ウマイヤ朝最後のカリフ、マルワーンはアッバース軍討伐の軍を起こしたが、ティグリス川の支流ザーブ川の戦いで敗れ、750年エジプトまで逃れたところで殺され、滅亡した。こうして唯一のカリフとなったアブー=アルアッバースは、「サッファーフ(血を注ぐ者、殺戮者の意味)」と呼ばれるようになった。権力を握るとアブー=アルアッバースはシーア派弾圧に乗り出し、カリフの権威を高めることに努力した。また成立直後の751年、中央アジアにアッバース軍を進出させ、タラス河畔で唐軍と戦って勝利した。

Episode 多数派についた「血を注ぐ者」

(引用)スンナ派のウマイヤ朝を打倒したアッバース朝も、安定した政権を維持するためには、やはり多数派であるスンナ派の宗旨を採用せざるをえなかった。革命運動に協力したシーア派の期待は裏切られ、弾圧によって多数のシーア派ムスリムの命が奪われた。初代カリフのアブー・アルアッバースが「サッファーフ」(血を注ぐ者)とあだ名されたのは、彼の治世の大半がシーア派の粛清に費やされたからである。<佐藤次高他『西アジア』上 地域からの世界史7 1993 朝日新聞社 p.112>
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屋形禎亮・佐藤次高
『西アジア』上
地域からの世界史 7
1993 朝日新聞社