マンスール
アッバース朝第2代カリフ。バグダードを建設した。
アッバース朝第2代のカリフ(在位754~775年)。弟のアブー=アルアッバースについでカリフとなった。ウマイヤ朝の残党やシーア派の一派を鎮定して、アッバース朝イスラーム帝国の実質的な支配体制をつくりあげた。イスラーム世界の統治拠点として、762年から766年にかけて新しい都バグダードを建設した。
アル・マンスールは胃弱が持病だった。病状が侍医たちの手におえなくなったとき、ジュンディ・シャーブールの病院長をしているブフト・イシュー家のジュルジースという名医がいるという噂を聞き、これを招いてみようと思った。「ブフト・イシュー」とは「イエスが救いたまいし」という意味のシリア語だが、この家の血統はペルシア系で、ネストリウス派のクリスチャンであった。ジュルジースの治療の結果、さしもの難病も癒えたので、アル・マンスールは主侍医に任じ、優待のつもりで美しいギリシアの女奴隷を三人送りとどけたが、清廉なクリスチャンだったジュルジースはさっさりと辞退した。やがて老いを感じたジェルジースは引退して故郷に帰ることを申し出た。辞意の動かしがたいのを見たカリフは帰郷を許すがイスラームに改宗したらどうかと勧めた。しかしジュルジースはカリフと楽園をともにさせていただくより、「たとえ地獄の業火に焼かれよう、やはり父祖のいるところにまいりたく存じます」と答えた。<前嶋信次『アラビアの医術』1965 中公新書 p.41-43>
Episode キリスト教徒の名医
アッバース朝第二代カリフは初代の異母兄のアブー・ジャアファルで、「アル・マンスール」(神により勝利をあたえられた人、その加護を受けた人の意味)の称号でよばれ、この王朝の基礎を確立した英主で、バグダードに新都を営んだ人でもある。アル・マンスールは胃弱が持病だった。病状が侍医たちの手におえなくなったとき、ジュンディ・シャーブールの病院長をしているブフト・イシュー家のジュルジースという名医がいるという噂を聞き、これを招いてみようと思った。「ブフト・イシュー」とは「イエスが救いたまいし」という意味のシリア語だが、この家の血統はペルシア系で、ネストリウス派のクリスチャンであった。ジュルジースの治療の結果、さしもの難病も癒えたので、アル・マンスールは主侍医に任じ、優待のつもりで美しいギリシアの女奴隷を三人送りとどけたが、清廉なクリスチャンだったジュルジースはさっさりと辞退した。やがて老いを感じたジェルジースは引退して故郷に帰ることを申し出た。辞意の動かしがたいのを見たカリフは帰郷を許すがイスラームに改宗したらどうかと勧めた。しかしジュルジースはカリフと楽園をともにさせていただくより、「たとえ地獄の業火に焼かれよう、やはり父祖のいるところにまいりたく存じます」と答えた。<前嶋信次『アラビアの医術』1965 中公新書 p.41-43>