ホラーサーン
イランの北東部一帯。アッバース朝台頭の拠点となった。
イランの東北部からアフガニスタン、トルクメニスタンにかけての一帯をいう。遊牧系のイラン人が活動しており、かつてパルティアがこの地から起こり、ササン朝ペルシアもこの地を支配した。この地のイラン人は652年にアラブ人の征服を受け、イスラーム化しマワーリーとなったが、税制その他で不平等な扱いであったので、次第に不満を強め、アッバース朝の反ウマイヤ朝革命に協力する。アッバース朝成立後もこの地はイスラーム世界の重要な動きの発動地となり、821年のターヒル朝、873年のサッファール朝、900年のサーマーン朝、994年のガズナ朝、1040年のセルジューク朝、1181年のホラズム朝と、次々とイスラーム政権が興亡した。1221年にチンギス=ハンの遠征を受け、モンゴル帝国のイル=ハン国の支配を受ける。1381年にはティムール朝が成立、その第3代シャー=ルフのときこの地方のヘラートが都とされ、15世紀のトルコ=イスラーム文化の中心地の一つとなった。その滅亡後はウズベク人の支配が及んだ。近代ではアフガニスタンとロシアの侵攻を受けた。