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アター

7世紀中頃から始まったイスラーム帝国での軍人に対する貨幣による俸給。イスラーム世界での貨幣経済の発展を背景に、ウマイヤ朝で軍人・官僚に現金で支給される事が始まった。アッバース朝では財政難から支給困難となり9世紀初めに廃止された。イスラーム世界ではブワイフ朝からはアターに代わってイクター制が一般化する。

 イスラーム帝国のウマイヤ朝アッバース朝で行われた、軍人に現金で支給された俸給のこと。軍人登録台帳に登録されたアラブ人の戦士に支給され、アラブ人の特権の一つだったので、次第に非アラブ人のイスラーム教徒兵士の不満のもととなった。この軍人登録台帳を意味するディーワーンが、俸給支給業務を行う役所をさす言葉となり、後には役所一般を指すようになる。このような制度が行われていたことは、イスラームの貨幣経済が発達していたことを示している。
 もともとアターという言葉はアラビア語で「贈り物」を意味し、ムハンマドの未亡人・親戚・功労者に対して与えられた年金を指していたが、次第に広く軍人・官僚に対する俸給を意味するようになった。

ウマルによる創設

 ムハンマド以来のイスラームによる征服活動では、カリフが戦利品の5分の1を取得し、残りの5分の4は戦いに参加した戦士の間で分配されていた。ただし獲得した土地そのものは共同体(ウンマ)のものとされ、戦士には分配されないのが原則であった。第2代のカリフ、ウマルは、征服が一段落した時点で、戦利品の分配というふるいしきたりを改めるべきだと考えた。そこで640年、ウマルは、征服地にはメディナから新たな徴税官を派遣して、アラブ戦士にはその税収入から一定の俸給を支払うことを定めた。それがアターであり、その業務を担当するためにメディナに設けられた官庁がディーワーンである。ウマルは征服によって拡大したイスラーム国家を統治するためには新しい制度と組織が必要であると理解していた。彼がイスラーム独自のヒジュラ暦を定めたのも、この暦に合わせて人頭税の徴収や年中行事を催し、ムスリムの歴史記述に筋道をつけるための重要な施策だった。<佐藤次高『イスラーム世界の興隆』世界の歴史8 1997 中央公論社 p.82>

アラブ貨幣の発行とアター制度

 695年ウマイヤ朝のカリフ、アブド=アルマリクは、ディーナール金貨ディルハム銀貨を発行し、二本位制のアラブ式貨幣制度を採用した。これは後世にはかり知れないほどの影響をおよぼした。これによって貨幣経済の進展はいちだんと加速し、この経済システムを基礎として、官僚や軍隊への俸給(アター)の支払が現金で行われるようになった。このような現代と同じような俸給の現金支払いは、8~9世紀のヨーロッパ、あるいは中国や日本では到底実現不可能なことで、貨幣経済の高度な発展こそがイスラーム文明の第一の特徴と言って良いだろう。<佐藤次高『同上書』 p.108>

マワーリー問題とアター制度

 イスラーム国家の支配が拡大したことでその支配下に入ったイラクやイランの異教徒には、収獲のほぼ半分を納める地租(ハラージュ)と、現金による人頭税(ジズヤ)の納入が義務づけられていた。7世紀の末、ウマイヤ朝の時代になると、異教徒の農民は、重税を逃れるために土地を捨ててバスラやクーファなどの軍営都市(ミスル)に流れ込み、さらにイスラームに改宗するようになった。これらのアラブ人以外の改宗者をマワーリーという。しかしマワーリーの増加は税収の減少となるので、ウマイヤ朝はマワーリーの都市移住を認めないこととしたが、それに対してマワーリーの不満が強まっていった(マワーリー問題)。
 8世紀の初め、ウマイヤ朝第8代カリフのウマル2世(在位717~720)は、イスラームへの改宗、都市への移住を自由とするとともに、都市に移住したマワーリーを官庁(ディーワーン)に登録し、俸給(アター)を与えることとした。ただし、マワーリーが農村に留まる場合は征服地の土地を占有しているのだから、従来の租税はそのままとされたので不満は残った。都市で仕事がなく、農村に留まらざるを得ないマワーリーは、改宗してもアラブ人と同等の扱いがされないのは「神の前での平等」に反するとして反発を強めた。このようなムスリム間のアラブ人とマワーリーの対立が750年のウマイヤ朝の崩壊とアッバース朝への転換の要因となった。<佐藤次高『同上書』 p.115-119>

アッバース朝でのアター廃止

 アッバース朝初期では、正規軍(ホラーサーン軍と言われた)の指揮官に月額2000、兵士に80、高級官僚に300、下級官僚に30のディルハム銀貨がアターとして支給された。軍人の忠誠心を維持するために財源を確保し、アターを着実に支払うことが必要であったが、次第に財政を圧迫していった。9世紀頃になるとホラーサーン軍のカリフに対する忠誠心も次第に薄れていったこともあり、第7代カリフのマームーン(在位816~833)はアラブ戦士に対するアター制度を廃止した。<『イスラム事典』平凡社刊 p.44-45>

イクター制へ

 アッバース朝では9世紀に入ると国庫収入の減少は軍隊や官僚への俸給支払いが滞るようになり、アターの支給も廃止された。カリフは正規軍に代わって自由に動かせる私兵集団としてマムルーク(奴隷軍人)を重用するようになった。しかし、そのようなアッバース朝のカリフの国家統制力の低下は、地方での独立政権の乱立することを許し、イスラーム帝国の分裂へと向かった。
 バグダードで花野もアッバース朝カリフは続いていたが946年にバグダードに入ったブワイフ朝のムイッズ=アッダウラは、大アミールを称して実権を握った。ブワイフ朝では軍人に対して俸給ではなく、一定の土地からの徴税権を与えるというイクター制を取り入れ、この制度がアター制度に変わり、イスラーム世界の基本となっていく。
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佐藤次高
『イスラーム世界の興隆』
2008 中公文庫