ロディー朝
15世紀中頃のインドのイスラーム政権。デリー=スルタン王朝の5番目、最後の王朝でアフガン系だった。
1451年に成立したデリー=スルタン王朝の第5番目で最後の王朝。デリー=スルタン朝の中では唯一のアフガン系で、アフガンの有力部族の連合政権的性格が強い。
デリーのサイイド朝が衰退すると、パンジャーブ地方に起こり、勢力を強めていた武将でアフガン系のバフロール=ロディーが、デリーに迎えられて権力を握った。バフロールが東方のジャウンブルを攻略した後、1489年に後を継いだシカンダル=ロディーはビハール一帯の支配権を回復した。しかし、ベンガル、マールワー、グジャラード、カシミールなどにはデリー=スルタン朝に従わない地方政権があり、ロディ朝のスルタンの統治はデリーを中心とした地域にとどまった。
デリーのサイイド朝が衰退すると、パンジャーブ地方に起こり、勢力を強めていた武将でアフガン系のバフロール=ロディーが、デリーに迎えられて権力を握った。バフロールが東方のジャウンブルを攻略した後、1489年に後を継いだシカンダル=ロディーはビハール一帯の支配権を回復した。しかし、ベンガル、マールワー、グジャラード、カシミールなどにはデリー=スルタン朝に従わない地方政権があり、ロディ朝のスルタンの統治はデリーを中心とした地域にとどまった。
デリー=スルタン朝の最後となる
16世紀の初め、アフガニスタンのカーブルで自立したムガル朝の始祖でバーブルは、たびたびインドへの侵攻を試みていたが、1526年、ロディー朝のスルタンと対立そたアフガン系貴族の要請を受けて、デリーへの進軍を開始、パーニーパットの戦いでロディー朝軍は敗れ、デリー=スルタン朝は終わりを告げた。この後、ムガル帝国はインド全域に支配を及ぼしていく。