スカンディナヴィア半島
ヨーロッパの北部に、南北に列なる大半島。西海岸にフィヨルドが発達し、ノルマン人が定住し、漁業・海上交易に活躍した。現在は東側にスウェーデン、西側にノルウェーがあり、半島の南に接するデンマークを加え、スカンディナヴィア三国と言われる。
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古代スカンディナヴィア人の航海
ノルマン人と言われ、また彼らを恐れたイングランドやフランスの人びとからはヴァイキングと言われたスカンディナヴィア人はフィヨルドを拠点に9世紀ごろから13世紀ごろまで、北大西洋の海上に船を乗りだし、主にタラ漁を行いながら西進、アイスランド、グリーンランド、さらに後にアメリカ大陸と名付けられることになる北米大陸にも到達していた。その頃は、気候は温暖で北大西洋の氷山は現在よりも少なく、航海がしやすかった。また、フィヨルドは沖合から暖流の北大西洋海流が流れ込むので、氷に閉ざされることはなかった。(引用)古代スカンディナヴィア人にはその(外洋を航海する)勘があった。彼らは航海術を他人に口外せず、学んだ知識を家族から家族へ、父から子へ、ひとつの世代からひとつの世代へと伝えていった。彼らの海の知識は文書として残されることはなく、記憶のなかに蓄積され、日々それを使うことで洗練されていった。スカディナヴィアの航海者は風や波と密接にかかわりながら暮らしていた。彼らは海や空を眺め氷の反射による氷映をもとに遠くからでも高い氷河を見つけ、流氷の近くを長く航海してきた経験から氷の状態を予測した。スカンディナヴィアの船長はみな、どの海流が船を針路からそらし、どれが目的地まで運んでくれるかを知っていたし、渡り鳥や海獣がいつ移動するかを学び、天気がくずれたり、霧がでたり、氷結したりする徴候を海や空から見抜くすべを身につけていた・・・。<ブライアン=フェイガン/東郷えりか他訳『歴史を変えた気候大変動』2009 河出文庫 p.36>
Episode タラを求めて
(引用)スカンディナヴィア人は陸地から遠く離れても、充分な食料を手に入れることができた。彼らの祖先は何世紀も前から、無甲板船で大量のタラを獲る方法を学んていた。彼らは何千という魚をさばいて吊し、北方の冷風にさらして乾燥させた。やがて魚はすっかり干からびて板のようになり、保存しやすくなる。タラはスカンディナヴィア人の堅パンのようなもので、彼らはそれをしけの海の上で小さく割ってゆっくり噛んで食べた。スカンディアヴィア人の船乗りたちが、ノルウェーからアイスランド、グリーンランド、そして北米へと、北大西洋のタラの生息域に沿って移動したのは偶然ではない。タラとスカンディナヴィア人は切っても切れぬ縁だったのだ。<フェイガン『同上書』 p.36-37>
ヴァイキング
(引用)ヴァイキング、あるいは「ノースマン」としても知られる古代スカンディナヴィア人が海に乗り出していったのは、作物の生育する期間の短いスカンディナヴィアのフィヨルドのやせた土地が人口過剰になったためだった。毎年夏になると若い「漕ぎ手」(ロウマン)たちは、略奪する相手や交易の機会や冒険を求めてロングシップででかけた。7世紀に入ると、彼らは荒れた北海をものともせずに渡って、イングランド東部の町や村を襲撃し、片田舎のキリスト教徒の集落を荒らしまわり、毎年冬に戦利品を積んで故郷に戻った。スカンディナヴィア人は徐々に活動範囲を広げていき、北方の広大な地域で交易をした。東方にも遠征し、ヴィスワ川やドニエプル川、ヴォルガ川を降って黒海やカスピ海まで到達し、コンスタンティノープルを一度ならず包囲し、キエフからダブリンにいたるまでさまざまな都市を建設した。<フェイガン『同上書』 p.37>→ ヴァイキングの項へ