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神の平和/神の休戦

中世キリスト教教会の持っていた平和実現の機能。10世紀末から見られ、教会が領主間の戦闘をやめさせ農民の安全を守らせた。

 10世紀末に始まった中世のキリスト教ローマ=カトリック教会の改革運動の一つ。中世では封建領主間の私闘(フェーデという)は「自力救済権の行使」と考えられ、それによって農民に危害が加えられるなどが日常化していたが、それにたいして教会の権威によって領主に戦闘行為をやめさせ、農民などの安全を守る動きがでてきた。この運動は修道院改革運動叙任権闘争とともに西ヨーロッパにおける教会の権威を高める要因となった。 → 騎士

「神の休戦」の実現

 10世紀末の南フランスに始まった「神の平和」運動が発展し、1027年にカトリック教会が「神の休戦」を提唱し、12世紀にたびたび開催されたラテラノ教会会議で教会法として公布された。一定期間とは、水曜日の夜から月曜日の朝までと教会祝祭日とその前日とされた。「神の平和」運動や「神の休戦」は、国際法などの規範が未発達だった段階で、キリスト教の教会が平和実現のために働いたものであり、13世紀以降に各国の王権が強化されるに従い実効力を失った。
(引用)10世紀末に王権の弱い南フランスにはじまり、北にも広がった。領主(貴族)たちの戦闘・暴力行為を制限するため、司教が中心となって教会会議を開き、特定の場所、特定の社会層(聖職者、農民、商人、巡礼者など)を戦闘から保護するよう領主に宣誓を求めたもので、拒否した領主には破門などの制裁をおこなった。11世紀はじめには、特定期間の戦闘行為の停止を求める「神の休戦」運動に発展したが、この運動の独自性は、全住民による誓約団体がつくられたことあった。修道院改革運動が領主からの宗教機関の独立を目的としたのにたいして、この運動は、教会が魂の問題だけでなく、王権や城主権力にかわって公共秩序の維持にかかわりはじめた点で、きわめて大きな意味を持っている。しかし、教会自身が武力をもたないため、運動は永続きしなかった。<柴田三千雄『フランス史10講』2006 岩波新書 p.33>
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柴田三千雄
『フランス史10講』
2006 岩波新書