軍管区制/テマ制
ビザンツ帝国の軍事的な地方制度。テマ制という。地方軍団の司令官が地方の行政と司法も掌握する制度。10世紀ごろが盛んで、11世紀にはプロノイア制に切り替わる。
ビザンツ帝国中期(7~11世紀)の軍事的な地方制度。テマ、またはセマ制度ともいう。帝国の各地においた軍隊の指揮官に、その地方の軍事権と同時に行政、司法の権限も与えその地方を掌握する方式。軍隊の兵士には農地が与えられ、平時には農耕に従事し、租税を負担するとともに、戦時には装備を自弁して戦闘に参加した(屯田兵制)。10世紀に軍管区制が完成し、ビザンツ帝国は中央集権的な国家体制を維持できた。しかし、11世紀になると軍管区制は崩れ、貴族による大土地所有が広がり、プロノイア制に切り替えられていく。もう少し詳しくみると次のようにまとめることが出来る。
軍管区制への移行
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)もユスティニアヌス帝の時代までは、地方は属州に分けられ、総督が行政権をもって統治していた。しかし6世紀に始まるバルカン方面でのスラヴ人の侵入、7世紀に始まる東方からのアラブ人の侵入という波が押し寄せるうち、属州制度は姿を消し、ビザンツ帝国独自の制度である軍管区制(テマ制)に移行していった。その始まりははっきりした年代不明であるが、ヘラクレイオス朝でアラブ人の侵入を受けた際、それまでの西アジアに展開していた軍団を小アジアに引き揚げ、管区を決めて防衛体制を敷いたところからはじまると考えられている。8世紀までは、テマの軍事権と行政権を併せ持つ長官のもと、中央政府の統制の及ばない半独立政権のような様相を呈し、たびたび反乱を起こす。しかし、9世紀後半からは、大きなテマの分割や、中央軍の創設などによってテマの反乱は抑えられるようになるり、10世紀に、テマは単なる地方行政区画として中央集権体制に復帰する。<井上浩一『ビザンツとアラブ』世界の歴史11 中央公論社 p.57などによる>