印刷 |  通常画面に戻る |

第6章 ヨーロッパ世界の形成と発展

2 東ヨーロッパ世界の成立

Text p.138

ア.ビザンツ帝国の繁栄と衰亡 用語リストへ
 ビザンツ帝国   394年 ローマ帝国東西分裂 → 東ローマ帝国の形成
・ゲルマン民族の侵入をあまり受けず伝統を維持。
  →商業とa 貨幣経済  ノミスマ金貨 を発行)の繁栄が続く。
・都b コンスタンティノープル  (旧名c ビザンティウム  )の繁栄。
・政治体制:ローマ帝国以来の官僚制を維持、その頂点の皇帝は専制君主として権威を持つ。
・特徴:皇帝は教会の首長を兼ねるd 皇帝教皇主義  にたち、e ギリシア正教会  を直接支配。
  → 西ローマ帝国滅亡後、地中海世界の統一の再現を目指す。

Text p.139

ユスティニアヌス帝

ラヴェンナのサン=ヴィターレ聖堂のモザイク画。
B ユスティニアヌス帝 大帝を中心に
隋臣が並んでいる。

 ユスティニアヌス帝 の時代 在位527~565年
・a ヴァンダル王国  、b 東ゴート王国  を征服。
  → 地中海の旧ローマ帝国領を回復。
・東方ではc ササン朝ペルシア  のホスロー1世と対抗。
  → 交易ルートがメソポタミアや・紅海からアラビア半島内陸部に移る。
・d 「ローマ法大全」  を集成。トリボニアヌスらに命じ、534年完成。
・e バギア=ソフィア聖堂  を建設。ビザンツ様式の代表的建造物。(後出)
・中国からf 養蚕技術  を学び、絹織物業を起こす。
 6世紀 ビザンツ帝国の最盛期となるが、大帝の死後、次第にギリシア化が進む。

地図 6世紀のビザンツ帝国全盛期

6世紀のビザンツ帝国全盛期
・征服されたゲルマン諸国  a 東ゴート王国   b ヴァンダル王国 
・周辺諸国  c フランク王国   d 西ゴート王国   e ササン朝ペルシア 
・主要都市 1 コンスタンティノープル   2 テッサロニケ   3 ラヴェンナ   4 ローマ 
      5 ミラノ   6 コルドバ   7 カルタゴ   8 アレクサンドリア 
      9 イェルサレム   10 ダマスクス   11 アンティオキア   12 クテシフォン 
 領土の縮小  ユスティニアヌス帝の死後、次第に領土を縮小する。
・西方:イタリアの大半をa ランゴバルド王国  、b フランク王国  に奪われる。
・東方:ササン朝との抗争→c イスラーム勢力  の進出 → シリア・エジプトを失う。
・北部:バルカン北部にスラブ民族が移住。トルコ系のd ブルガール人  の国家形成。
 7世紀初め  ヘラクレイオス1世  e 軍管区制(テマ制)  を施行、領土を回復。(後出)
イコン

 イコン の例

 聖像崇拝論争   8世紀 フランク王国と結んだローマ=カトリック教会と対立。
・726年 ビザンツ皇帝レオン3世、a 聖像禁止令  を出す。
   = b 聖像画(イコン) (例、右図)の使用を禁止する。
 背景:c 小アジアに侵攻してきたイスラーム教勢力が偶像崇拝を非難していた。 
   → ローマ教会は、拒否。東西教会の対立が始まる。
 800年 フランク王国d カール大帝 、ローマ皇帝の戴冠。
   → ビザンツ皇帝との対立強まる。
   → 後にビザンツ帝国でもb 聖像画  を作成するようになる。
・その後も東西教会の対立は修復されず。
 1054年、ローマ教皇がコンスタンチノープル総主教を破門、最終的に分裂。
E ▲ マケドニア朝の繁栄  867年 バシレイオス1世 世襲王朝を開く。
・10~11世紀 一時勢力を盛り返す。軍管区制、a 屯田兵制 を充実させる。
  → キエフ公国と結ぶ。キエフ公国のウラディミル1世、ギリシア正教に改宗(後出)。
 1018年 バシレイオス2世、b ブルガリア王国 を破り、併合する。
 ビザンツ帝国 の衰退  11世紀末  貴族の大土地所有が復活。
・1071年 a セルジューク朝  が小アジア侵入。b マンジケルトの戦い  で敗れる。
  → ビザンツ皇帝、ローマ教皇に援助要請。→ 西ヨーロッパ諸国、十字軍運動の開始
 11世紀末 c プロノイア制  を実施。:軍役奉仕の代償に貴族に領地を与える。
・1204年 ベネチアなどを中心としたd 第4回十字軍 
       e コンスタンティノープル  を占領し、f ラテン帝国  を建国。
  → 1260年 ビザンツ帝国復活。
14世紀、小アジアに興ったトルコ人のa オスマン帝国  がビザンツ帝国を東方から脅かす。(後出)
 1453  年 c コンスタンティノープル  が陥落し、 ビザンツ帝国滅亡
先頭へ
イ.ビザンツ帝国の社会と文化 用語リストへ
1.中央集権的軍事力の強化:
 ・はじめはローマ帝国以来のコロヌス制による大土地所有制度であったが、
  7世紀以降、独自の土地制度を採用、そのため封建社会の形成はなかった。
  a 軍管区制(テマ制)   = 軍管区の軍司令官に軍事権と行政権を与える。
  b 屯田兵制   = 軍管区司令官が部下の兵士に土地を分与し、代わりに軍役を課す。

Text p.140

  c プロノイア制   = 貴族(地方有力者)に国有地を貸与して軍役を奉仕させる。
   → 11世紀以降は貴族が封建領主化し、農奴制による大土地所有制が復活した。
2.文化:
 特徴 a 古代ギリシア文化とギリシア正教を融合させた文化 
 1.b ギリシア語  を公用語とする。 → 古典研究を受け継ぐ。
 2.c ギリシア正教  を国教とする独自の文化。→独自のキリスト教神学が発展。
 3.美術・建築 d ビザンツ様式  の建築  特徴は、ドームとe モザイク壁画 
   代表例 f バギア=ソフィア聖堂  (コンスタンティノープル) 解説:
       g サン=ヴィターレ聖堂  のモザイク壁画(イタリアのラヴェンナ)
 影響:スラブ民族の文化を開花させると共に、ギリシア古代文化を保存しルネサンスに伝えた。
先頭へ
ウ.スラブ人と周辺諸民族の自立 用語リストへ
 a スラブ民族    インド=ヨーロッパ語族に属し、6世紀以降、東ヨーロッパに広がる。
       ┌ b 東スラブ人  (ロシア人、ウクライナ人)
       │
 スラブ民族 ┼ c 南スラブ人  (セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人)
       │
       └ d 西スラブ人  (ポーランド人・チェック人・スロヴァキア人)
1.東スラブ人 
 ノヴゴロド国  862年 a ノルマン人(ルーシ)  がリューリクに率いられ建国。
 → 先住民のスラブ人と同化。これがb ロシア国家  の起源とされる。(前出)
 キエフ公国     882年 ノヴゴロドからドニェプル川中流のキエフに移動

Text p.141

・10世紀末 a ウラディミル1世  の時、領土を周辺に拡大し、繁栄。
・988年 ビザンツ帝国皇帝(バシレイオス2世)の妹と結婚しb ギリシア正教  に改宗。
  → 封建諸侯が分立、農民の農奴化進む。
 「タタールのくびき」   の時代
・1237~1240年 モンゴルの侵入。a バトゥ  によってロシアの大半が征服される。
  → 1241年 ポーランド・ドイツ連合軍、モンゴル軍に敗れる( ワールシュタットの戦い )。
 1243年 b キプチャク=ハン国  のロシア支配始まる。ハンは南ロシアのサライに居住。
  → 支配が約240年続く。実態は間接統治で、ロシア諸侯が徴税し、ハンに上納する。
・ノブゴロドの アレクサンドル=ネフスキー の活躍
 1240年 スウェーデン軍をネヴァ川の戦いで撃退
 1242年 ドイツ騎士団を氷上の戦いで撃退
  → 南ロシアのb キプチャク=ハン国  には臣従し、貢納する。
 モスクワ大公国  15世紀 商業都市を中心として発展、東北ロシアを統一
・1480年 a イヴァン3世  、モンゴルから自立。
  → ビザンツ帝国滅亡(1453年)後、その後継者となりb ツァーリ  を初めて称す。
 ・農奴制を強化し、専制君主制の基礎を固める。首都 モスクワ の繁栄。
16世紀 c イヴァン4世  (雷帝)中央集権体制を固め、東ヨーロッパの大勢力となる。

2.南スラブ人
 セルビア人 
・6世紀 a バルカン半島  南西部に移動、ビザンツ帝国に服属、
   b ギリシア正教  に改宗。 12世紀に独立、14世紀前半に、勢力強大となる。
・1389年 オスマン帝国の侵入 ▲c コソヴォの戦い  で敗れバルカンのイスラーム化始まる。
 クロアティア人  スロヴェニア人 
・フランク王国の影響下、a ローマ=カトリック を受容。
  → いずれも14世紀以降、イスラーム教国のb オスマン帝国 の支配下にはいる。

Text p.142

3.西スラブ人
 ポーランド人  a ローマ=カトリック  を受容
・10世紀にb ポーランド王国 を建国(ピアスト朝)。
 12世紀末から、ドイツ人のc 東方植民  にバルト海沿岸を奪われる。
・モンゴルの侵入 1241年 d ワールシュタットの戦い  ドイツと連合してあたるも敗北。
・14世紀前半 e カジミェシュ3世 (大王)のもとで繁栄。法典整備や通貨の発行。
  → 1364年 都クラクフに大学を設立。
・この間、バルト海沿岸のf リトアニア人  (インド=ヨーロッパ語族)が国家統一を進める。
・1386年 g ドイツ騎士団 に対抗し、両国合体しh リトアニア=ポーランド王国 となる。
  = i ヤゲウォ(ヤゲロー)朝 成立う。 → 15世紀 もっとも強大となる。
 チェック人    現在のチェコの西部がベーメン(ボヘミア)、東部がモラヴィア。
・7世紀 a モラヴィア王国 建設 → 9世紀、マジャール人に征服される
  → b ローマ=カトリック を受容
・10世紀 c ベーメン(ボヘミア)王国 を建設
 11世紀、神聖ローマ帝国の一部となる。 14世紀 プラハ大学創設(後出)。

4.スラブ人以外の民族(非スラブ人)
 ブルガール人  トルコ系民族。バルカン半島に移動。
・7世紀 a 第1次ブルガリア王国  建設、スラブ人と同化し、b ギリシア正教  に改宗
  → ビザンツに併合される。聖職者キュリロスによって▲c キリル文字  作られる。
・12世紀 独立(d 第2次ブルガリア王国  )→14世紀 オスマン=トルコの支配
 マジャール人  ウラル語族の遊牧民。先に西進したアヴァール人などを同化。
・9世紀末、パンノニアに移動後、定住。955年 a オットー1世  と戦い敗れる。
・10世紀末 b ハンガリー王国 を建国 c ローマ=カトリック  を受容。
 15世紀に繁栄、 オスマン=トルコ帝国と争う。 16世紀 領土の大半を失う。
 17世紀には、神聖ローマ帝国(オーストリアのハプスブルク家)に組み込まれる。
G ▲ ルーマニア人  バルカン半島のドナウ川北岸、ローマ帝国の属州ダキア以来ラテン系の人々が居住。
  → スラブ人・ゲルマン人・マジャール人の侵入を受ける。
・13~14世紀 ルーマニア人として自立しワラキアモルダヴィア両公国を建国。
先頭へ


前節へ : 目次へ : 次節へ

ノート表示メニュー
全解答表示
未解答クリア
全解答クリア
印刷メニュー
解答なし
解答あり
この節の小見出し
ア.ビザンツ帝国の繁栄と衰亡
イ.ビザンツ帝国の社会と文化
ウ.スラブ人と周辺諸民族の自立

目 次

序章 先史の世界

1章 オリエントと地中海世界

2章 アジア・アメリカの文明

3章 東アジア世界

4章 内陸アジア世界

5章 イスラーム世界

6章 ヨーロッパ世界の形成

7章 諸地域世界の交流

8章 アジア諸地域の繁栄

9章 近代ヨーロッパの成立

10章 ヨーロッパ主権国家体制

11章 欧米近代社会の形成

12章 欧米国民国家の形成

13章 アジア諸地域の動揺

14章 帝国主義と民族運動

15章 二つの世界大戦

16章 冷戦と第三世界の自立

17章 現代の世界