第6章 ヨーロッパ世界の形成と発展
2 東ヨーロッパ世界の成立
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ア.ビザンツ帝国の繁栄と衰亡
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A ビザンツ帝国 394年 ローマ帝国東西分裂 → 東ローマ帝国の形成
・ゲルマン民族の侵入をあまり受けず伝統を維持。
→商業とa 貨幣経済 ( ノミスマ金貨 を発行)の繁栄が続く。
・都b コンスタンティノープル (旧名c ビザンティウム )の繁栄。
・政治体制:ローマ帝国以来の官僚制を維持、その頂点の皇帝は専制君主として権威を持つ。
・特徴:皇帝は教会の首長を兼ねるd 皇帝教皇主義 にたち、e ギリシア正教会 を直接支配。
→ 西ローマ帝国滅亡後、地中海世界の統一の再現を目指す。
→商業とa 貨幣経済 ( ノミスマ金貨 を発行)の繁栄が続く。
・都b コンスタンティノープル (旧名c ビザンティウム )の繁栄。
・政治体制:ローマ帝国以来の官僚制を維持、その頂点の皇帝は専制君主として権威を持つ。
・特徴:皇帝は教会の首長を兼ねるd 皇帝教皇主義 にたち、e ギリシア正教会 を直接支配。
→ 西ローマ帝国滅亡後、地中海世界の統一の再現を目指す。
Text p.139
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ラヴェンナのサン=ヴィターレ聖堂のモザイク画。
B ユスティニアヌス帝 大帝を中心に
隋臣が並んでいる。
B ユスティニアヌス帝 の時代 在位527~565年
・a ヴァンダル王国 、b 東ゴート王国 を征服。
→ 地中海の旧ローマ帝国領を回復。
・東方ではc ササン朝ペルシア のホスロー1世と対抗。
→ 交易ルートがメソポタミアや・紅海からアラビア半島内陸部に移る。
・d 「ローマ法大全」 を集成。トリボニアヌスらに命じ、534年完成。
・e バギア=ソフィア聖堂 を建設。ビザンツ様式の代表的建造物。(後出)
・中国からf 養蚕技術 を学び、絹織物業を起こす。
6世紀 ビザンツ帝国の最盛期となるが、大帝の死後、次第にギリシア化が進む。
→ 地中海の旧ローマ帝国領を回復。
・東方ではc ササン朝ペルシア のホスロー1世と対抗。
→ 交易ルートがメソポタミアや・紅海からアラビア半島内陸部に移る。
・d 「ローマ法大全」 を集成。トリボニアヌスらに命じ、534年完成。
・e バギア=ソフィア聖堂 を建設。ビザンツ様式の代表的建造物。(後出)
・中国からf 養蚕技術 を学び、絹織物業を起こす。
6世紀 ビザンツ帝国の最盛期となるが、大帝の死後、次第にギリシア化が進む。
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地図 6世紀のビザンツ帝国全盛期
・征服されたゲルマン諸国
a 東ゴート王国
b ヴァンダル王国
・周辺諸国 c フランク王国 d 西ゴート王国 e ササン朝ペルシア
・主要都市 1 コンスタンティノープル 2 テッサロニケ 3 ラヴェンナ 4 ローマ
5 ミラノ 6 コルドバ 7 カルタゴ 8 アレクサンドリア
9 イェルサレム 10 ダマスクス 11 アンティオキア 12 クテシフォン
・周辺諸国 c フランク王国 d 西ゴート王国 e ササン朝ペルシア
・主要都市 1 コンスタンティノープル 2 テッサロニケ 3 ラヴェンナ 4 ローマ
5 ミラノ 6 コルドバ 7 カルタゴ 8 アレクサンドリア
9 イェルサレム 10 ダマスクス 11 アンティオキア 12 クテシフォン
C 領土の縮小 ユスティニアヌス帝の死後、次第に領土を縮小する。
・西方:イタリアの大半をa ランゴバルド王国 、b フランク王国 に奪われる。
・東方:ササン朝との抗争→c イスラーム勢力 の進出 → シリア・エジプトを失う。
・北部:バルカン北部にスラブ民族が移住。トルコ系のd ブルガール人 の国家形成。
7世紀初め ヘラクレイオス1世 e 軍管区制(テマ制) を施行、領土を回復。(後出)
・東方:ササン朝との抗争→c イスラーム勢力 の進出 → シリア・エジプトを失う。
・北部:バルカン北部にスラブ民族が移住。トルコ系のd ブルガール人 の国家形成。
7世紀初め ヘラクレイオス1世 e 軍管区制(テマ制) を施行、領土を回復。(後出)
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b イコン の例
D 聖像崇拝論争 8世紀 フランク王国と結んだローマ=カトリック教会と対立。
・726年 ビザンツ皇帝レオン3世、a 聖像禁止令 を出す。
= b 聖像画(イコン) (例、右図)の使用を禁止する。
背景:c 小アジアに侵攻してきたイスラーム教勢力が偶像崇拝を非難していた。
→ ローマ教会は、拒否。東西教会の対立が始まる。
800年 フランク王国d カール大帝 、ローマ皇帝の戴冠。
→ ビザンツ皇帝との対立強まる。
→ 後にビザンツ帝国でもb 聖像画 を作成するようになる。
・その後も東西教会の対立は修復されず。
1054年、ローマ教皇がコンスタンチノープル総主教を破門、最終的に分裂。
= b 聖像画(イコン) (例、右図)の使用を禁止する。
背景:c 小アジアに侵攻してきたイスラーム教勢力が偶像崇拝を非難していた。
→ ローマ教会は、拒否。東西教会の対立が始まる。
800年 フランク王国d カール大帝 、ローマ皇帝の戴冠。
→ ビザンツ皇帝との対立強まる。
→ 後にビザンツ帝国でもb 聖像画 を作成するようになる。
・その後も東西教会の対立は修復されず。
1054年、ローマ教皇がコンスタンチノープル総主教を破門、最終的に分裂。
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E ▲ マケドニア朝の繁栄 867年 バシレイオス1世 世襲王朝を開く。
・10~11世紀 一時勢力を盛り返す。軍管区制、a 屯田兵制 を充実させる。
→ キエフ公国と結ぶ。キエフ公国のウラディミル1世、ギリシア正教に改宗(後出)。
1018年 バシレイオス2世、b ブルガリア王国 を破り、併合する。
→ キエフ公国と結ぶ。キエフ公国のウラディミル1世、ギリシア正教に改宗(後出)。
1018年 バシレイオス2世、b ブルガリア王国 を破り、併合する。
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F ビザンツ帝国 の衰退 11世紀末 貴族の大土地所有が復活。
・1071年 a セルジューク朝 が小アジア侵入。b マンジケルトの戦い で敗れる。
→ ビザンツ皇帝、ローマ教皇に援助要請。→ 西ヨーロッパ諸国、十字軍運動の開始
11世紀末 c プロノイア制 を実施。:軍役奉仕の代償に貴族に領地を与える。
・1204年 ベネチアなどを中心としたd 第4回十字軍 が
e コンスタンティノープル を占領し、f ラテン帝国 を建国。
→ 1260年 ビザンツ帝国復活。
→ ビザンツ皇帝、ローマ教皇に援助要請。→ 西ヨーロッパ諸国、十字軍運動の開始
11世紀末 c プロノイア制 を実施。:軍役奉仕の代償に貴族に領地を与える。
・1204年 ベネチアなどを中心としたd 第4回十字軍 が
e コンスタンティノープル を占領し、f ラテン帝国 を建国。
→ 1260年 ビザンツ帝国復活。
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14世紀、小アジアに興ったトルコ人のa オスマン帝国 がビザンツ帝国を東方から脅かす。(後出)
b 1453 年 c コンスタンティノープル が陥落し、 ビザンツ帝国滅亡 。
b 1453 年 c コンスタンティノープル が陥落し、 ビザンツ帝国滅亡 。
イ.ビザンツ帝国の社会と文化
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1.中央集権的軍事力の強化:
・はじめはローマ帝国以来のコロヌス制による大土地所有制度であったが、
7世紀以降、独自の土地制度を採用、そのため封建社会の形成はなかった。
a 軍管区制(テマ制) = 軍管区の軍司令官に軍事権と行政権を与える。
b 屯田兵制 = 軍管区司令官が部下の兵士に土地を分与し、代わりに軍役を課す。
・はじめはローマ帝国以来のコロヌス制による大土地所有制度であったが、
7世紀以降、独自の土地制度を採用、そのため封建社会の形成はなかった。
a 軍管区制(テマ制) = 軍管区の軍司令官に軍事権と行政権を与える。
b 屯田兵制 = 軍管区司令官が部下の兵士に土地を分与し、代わりに軍役を課す。
Text p.140
c プロノイア制 = 貴族(地方有力者)に国有地を貸与して軍役を奉仕させる。
→ 11世紀以降は貴族が封建領主化し、農奴制による大土地所有制が復活した。
→ 11世紀以降は貴族が封建領主化し、農奴制による大土地所有制が復活した。
2.文化:
特徴 a 古代ギリシア文化とギリシア正教を融合させた文化
1.b ギリシア語 を公用語とする。 → 古典研究を受け継ぐ。
2.c ギリシア正教 を国教とする独自の文化。→独自のキリスト教神学が発展。
3.美術・建築 d ビザンツ様式 の建築 特徴は、ドームとe モザイク壁画
代表例 f バギア=ソフィア聖堂 (コンスタンティノープル) 解説:
特徴 a 古代ギリシア文化とギリシア正教を融合させた文化
1.b ギリシア語 を公用語とする。 → 古典研究を受け継ぐ。
2.c ギリシア正教 を国教とする独自の文化。→独自のキリスト教神学が発展。
3.美術・建築 d ビザンツ様式 の建築 特徴は、ドームとe モザイク壁画
代表例 f バギア=ソフィア聖堂 (コンスタンティノープル) 解説:
g サン=ヴィターレ聖堂 のモザイク壁画(イタリアのラヴェンナ)
影響:スラブ民族の文化を開花させると共に、ギリシア古代文化を保存しルネサンスに伝えた。
影響:スラブ民族の文化を開花させると共に、ギリシア古代文化を保存しルネサンスに伝えた。
ウ.スラブ人と周辺諸民族の自立
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a スラブ民族 インド=ヨーロッパ語族に属し、6世紀以降、東ヨーロッパに広がる。
┌ b 東スラブ人 (ロシア人、ウクライナ人)
│
スラブ民族 ┼ c 南スラブ人 (セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人)
│
└ d 西スラブ人 (ポーランド人・チェック人・スロヴァキア人)
│
スラブ民族 ┼ c 南スラブ人 (セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人)
│
└ d 西スラブ人 (ポーランド人・チェック人・スロヴァキア人)
1.東スラブ人
A ノヴゴロド国 862年 a ノルマン人(ルーシ) がリューリクに率いられ建国。
→ 先住民のスラブ人と同化。これがb ロシア国家 の起源とされる。(前出)
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B キエフ公国 882年 ノヴゴロドからドニェプル川中流のキエフに移動
Text p.141
・10世紀末 a ウラディミル1世 の時、領土を周辺に拡大し、繁栄。
・988年 ビザンツ帝国皇帝(バシレイオス2世)の妹と結婚しb ギリシア正教 に改宗。
→ 封建諸侯が分立、農民の農奴化進む。
・988年 ビザンツ帝国皇帝(バシレイオス2世)の妹と結婚しb ギリシア正教 に改宗。
→ 封建諸侯が分立、農民の農奴化進む。
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C 「タタールのくびき」 の時代
・1237~1240年 モンゴルの侵入。a バトゥ によってロシアの大半が征服される。
→ 1241年 ポーランド・ドイツ連合軍、モンゴル軍に敗れる( ワールシュタットの戦い )。
1243年 b キプチャク=ハン国 のロシア支配始まる。ハンは南ロシアのサライに居住。
→ 支配が約240年続く。実態は間接統治で、ロシア諸侯が徴税し、ハンに上納する。
・ノブゴロドの アレクサンドル=ネフスキー の活躍
1240年 スウェーデン軍をネヴァ川の戦いで撃退
1242年 ドイツ騎士団を氷上の戦いで撃退
→ 南ロシアのb キプチャク=ハン国 には臣従し、貢納する。
→ 1241年 ポーランド・ドイツ連合軍、モンゴル軍に敗れる( ワールシュタットの戦い )。
1243年 b キプチャク=ハン国 のロシア支配始まる。ハンは南ロシアのサライに居住。
→ 支配が約240年続く。実態は間接統治で、ロシア諸侯が徴税し、ハンに上納する。
・ノブゴロドの アレクサンドル=ネフスキー の活躍
1240年 スウェーデン軍をネヴァ川の戦いで撃退
1242年 ドイツ騎士団を氷上の戦いで撃退
→ 南ロシアのb キプチャク=ハン国 には臣従し、貢納する。
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D モスクワ大公国 15世紀 商業都市を中心として発展、東北ロシアを統一
・1480年 a イヴァン3世 、モンゴルから自立。
→ ビザンツ帝国滅亡(1453年)後、その後継者となりb ツァーリ を初めて称す。
・農奴制を強化し、専制君主制の基礎を固める。首都 モスクワ の繁栄。
→ ビザンツ帝国滅亡(1453年)後、その後継者となりb ツァーリ を初めて称す。
・農奴制を強化し、専制君主制の基礎を固める。首都 モスクワ の繁栄。
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16世紀 c イヴァン4世 (雷帝)中央集権体制を固め、東ヨーロッパの大勢力となる。
2.南スラブ人
A セルビア人
・6世紀 a バルカン半島 南西部に移動、ビザンツ帝国に服属、
b ギリシア正教 に改宗。 12世紀に独立、14世紀前半に、勢力強大となる。
・1389年 オスマン帝国の侵入 ▲c コソヴォの戦い で敗れバルカンのイスラーム化始まる。
B クロアティア人 と スロヴェニア人
・6世紀 a バルカン半島 南西部に移動、ビザンツ帝国に服属、
b ギリシア正教 に改宗。 12世紀に独立、14世紀前半に、勢力強大となる。
・1389年 オスマン帝国の侵入 ▲c コソヴォの戦い で敗れバルカンのイスラーム化始まる。
B クロアティア人 と スロヴェニア人
・フランク王国の影響下、a ローマ=カトリック を受容。
→ いずれも14世紀以降、イスラーム教国のb オスマン帝国 の支配下にはいる。
→ いずれも14世紀以降、イスラーム教国のb オスマン帝国 の支配下にはいる。
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3.西スラブ人
C ポーランド人 a ローマ=カトリック を受容
・10世紀にb ポーランド王国 を建国(ピアスト朝)。
12世紀末から、ドイツ人のc 東方植民 にバルト海沿岸を奪われる。
・モンゴルの侵入 1241年 d ワールシュタットの戦い ドイツと連合してあたるも敗北。
・14世紀前半 e カジミェシュ3世 (大王)のもとで繁栄。法典整備や通貨の発行。
→ 1364年 都クラクフに大学を設立。
・この間、バルト海沿岸のf リトアニア人 (インド=ヨーロッパ語族)が国家統一を進める。
・1386年 g ドイツ騎士団 に対抗し、両国合体しh リトアニア=ポーランド王国 となる。
= i ヤゲウォ(ヤゲロー)朝 成立う。 → 15世紀 もっとも強大となる。
D チェック人 現在のチェコの西部がベーメン(ボヘミア)、東部がモラヴィア。
・7世紀 a モラヴィア王国 建設 → 9世紀、マジャール人に征服される
→ b ローマ=カトリック を受容
・10世紀 c ベーメン(ボヘミア)王国 を建設
11世紀、神聖ローマ帝国の一部となる。 14世紀 プラハ大学創設(後出)。
・10世紀にb ポーランド王国 を建国(ピアスト朝)。
12世紀末から、ドイツ人のc 東方植民 にバルト海沿岸を奪われる。
・モンゴルの侵入 1241年 d ワールシュタットの戦い ドイツと連合してあたるも敗北。
・14世紀前半 e カジミェシュ3世 (大王)のもとで繁栄。法典整備や通貨の発行。
→ 1364年 都クラクフに大学を設立。
・この間、バルト海沿岸のf リトアニア人 (インド=ヨーロッパ語族)が国家統一を進める。
・1386年 g ドイツ騎士団 に対抗し、両国合体しh リトアニア=ポーランド王国 となる。
= i ヤゲウォ(ヤゲロー)朝 成立う。 → 15世紀 もっとも強大となる。
D チェック人 現在のチェコの西部がベーメン(ボヘミア)、東部がモラヴィア。
・7世紀 a モラヴィア王国 建設 → 9世紀、マジャール人に征服される
→ b ローマ=カトリック を受容
・10世紀 c ベーメン(ボヘミア)王国 を建設
11世紀、神聖ローマ帝国の一部となる。 14世紀 プラハ大学創設(後出)。
4.スラブ人以外の民族(非スラブ人)
E ブルガール人 トルコ系民族。バルカン半島に移動。
・7世紀 a 第1次ブルガリア王国 建設、スラブ人と同化し、b ギリシア正教 に改宗
→ ビザンツに併合される。聖職者キュリロスによって▲c キリル文字 作られる。
・12世紀 独立(d 第2次ブルガリア王国 )→14世紀 オスマン=トルコの支配
F マジャール人 ウラル語族の遊牧民。先に西進したアヴァール人などを同化。
・9世紀末、パンノニアに移動後、定住。955年 a オットー1世 と戦い敗れる。
・10世紀末 b ハンガリー王国 を建国 c ローマ=カトリック を受容。
15世紀に繁栄、 オスマン=トルコ帝国と争う。 16世紀 領土の大半を失う。
17世紀には、神聖ローマ帝国(オーストリアのハプスブルク家)に組み込まれる。
G ▲ ルーマニア人 バルカン半島のドナウ川北岸、ローマ帝国の属州ダキア以来ラテン系の人々が居住。
→ スラブ人・ゲルマン人・マジャール人の侵入を受ける。
・13~14世紀 ルーマニア人として自立しワラキアとモルダヴィア両公国を建国。
・7世紀 a 第1次ブルガリア王国 建設、スラブ人と同化し、b ギリシア正教 に改宗
→ ビザンツに併合される。聖職者キュリロスによって▲c キリル文字 作られる。
・12世紀 独立(d 第2次ブルガリア王国 )→14世紀 オスマン=トルコの支配
F マジャール人 ウラル語族の遊牧民。先に西進したアヴァール人などを同化。
・9世紀末、パンノニアに移動後、定住。955年 a オットー1世 と戦い敗れる。
・10世紀末 b ハンガリー王国 を建国 c ローマ=カトリック を受容。
15世紀に繁栄、 オスマン=トルコ帝国と争う。 16世紀 領土の大半を失う。
17世紀には、神聖ローマ帝国(オーストリアのハプスブルク家)に組み込まれる。
G ▲ ルーマニア人 バルカン半島のドナウ川北岸、ローマ帝国の属州ダキア以来ラテン系の人々が居住。
→ スラブ人・ゲルマン人・マジャール人の侵入を受ける。
・13~14世紀 ルーマニア人として自立しワラキアとモルダヴィア両公国を建国。