印刷 | 通常画面に戻る |

農奴解放

中世封建制での不自由民であった農奴が次第に自由を獲得したこと。

 農奴身分のものが自由になり、賦役や結婚税、死亡税または領主裁判権などが課せられなくなること。農奴制は中世封建社会の柱の一つであったが、13~14世紀の荘園制の崩壊のなかで農奴の解放が進んだ。その背景には黒死病の流行による人口減があった。また、農奴解放を目指す、フランスのジャックリーの乱、イギリスのワット=タイラーの乱に代表される農民一揆の戦いによって勝ち取られたものであった。解放された農奴は、農村では独立自営農民となり、あるいは都市に流入して市民層を形成して、広い意味で近代社会の市民階級を形成していく。
 農奴解放は、農業生産力の向上、貨幣経済の浸透によって徐々に進んでいったが、法的な意味での農奴身分はなお強固な社会制度として残った。領主の封建的特権と農奴の経済的負担の関係、農奴の身分に縛られたさまざまな不自由、例えば移動の自由がないとか、婚姻の自由がないなどの制限は、次第に商工業の発展のなかで、自由な労働力や購買層の存在が必要になってきたため、主権国家形成期(絶対王政の時代)になると「上からの改革」によって農奴解放がはかられることになる。しかし、根底から農奴を解放する動きは、フランス革命によってもたらされた。なおも不十分ではあったが、1789年8月のフランスにおける封建的特権の廃止はその第一歩となった。  → 封建地代の無償廃止  農奴解放令(1781)  農民解放(プロイセン)  農奴解放令(1861)
印 刷
印刷画面へ