オルレアン
フランス中央部の小都市でオルレアン公の領地。百年戦争中にイギリスに包囲されたが、ジャンヌ=ダルクによって解放された。
オルレアンはパリの南方約100km、ロワール川中流域にある小都市。交通の要衝で北フランスの重要都市であったが、カペー朝以来の王領とされ、フランス王家の一族がこの地を領地として与えられ、オルレアン公と称した。百年戦争では、フランスの大領主ブルゴーニュ公はイギリスと手を結んだが、オルレアン公はフランス王室に従った。
ジャンヌ=ダルクは戦場で捕らえられ、イギリスの宗教裁判で魔女として火刑に処せられてしまったが、後に国家と国民の統合の象徴とされ、おのオルレアンの解放も長くフランスの勝利として長く語り継がれることとなる。
その後、オルレアン公家はたびたび断絶するが、その都度再興されて長く続き、19世紀に七月王政で王位についたルイ=フィリップもオルレアン公であった。
ジャンヌ=ダルクによるオルレアンの解放
百年戦争の後半に、1428年に攻勢をかけたイギリス軍はオルレアンを包囲した。フランス王シャルル7世はオルレアンを救援することが出来ず、イギリス軍による「オルレアンの包囲」は長期化した。その危機を救ったのが一人の少女ジャンヌ=ダルクだった。神の声を聞いたというジャンヌはシャルル7世を鼓舞して軍を起こさせ、みずから指揮に加わりオルレアンの救出にあたり、1429年5月8日、解放に成功した。ここからフランス軍の反撃が始まり、1453年までにイギリス軍を国内から一掃、フランスの国家的統合が始まる。ジャンヌ=ダルクは戦場で捕らえられ、イギリスの宗教裁判で魔女として火刑に処せられてしまったが、後に国家と国民の統合の象徴とされ、おのオルレアンの解放も長くフランスの勝利として長く語り継がれることとなる。
その後、オルレアン公家はたびたび断絶するが、その都度再興されて長く続き、19世紀に七月王政で王位についたルイ=フィリップもオルレアン公であった。