学寮制/コレッジ制
13世紀にヨーロッパの大学で、貧窮学生を受けいれるために設けられた寮制度。当初の宿泊所の機能にとどまらず、次第に学問の場として大学の中心的存在となった。特にパリ、オクスフォード、ケンブリッジの各大学で発達した。
中世ヨーロッパの各地に設けられた大学は、多くの教師と学生が結成した一種の同業組合(ギルド)であって、ユニベスシタスといわれていたが、その学生になるには教材費や教師への謝礼の他の費用が必要なので貴族や豊かな商人、豊かな農民など「金持ち」の子弟が普通だった。特に地方から大学に入ろうとするには下宿代などが必要であったので、学生は住居を見つけるのが一苦労だった。それでも向学心に燃えた若者が大学に集まり、彼らは貧窮学生といわれ、共同で一軒の家を借りたり、教授の家に賄い付きで下宿したりしていた。このような貧窮学生を受けいれるために、13世紀の各地の大学で学生の宿泊所として「学寮」(college コレッジ)が増加していった。
(引用)学寮は最初のうちは主として慈善的なものであり、誰か在俗の金持ち、または聖職にある金持ちの創設になった。一定数の貧窮学生の住居と生計を確保するために、建物と規則的な歳費が与えられたのであった。普通は学士の中から選ばれた「管理人」あるいは「学寮長」が、「監察官」(創設者によって指名され、高位聖職者であることが多かった)の統制のもとに勉学を指導し、規約の尊重を監督していた。<ジャック・ヴェルジュ/大高順雄訳『中世の大学』1979 みすず書房 p.75>パリ大学では12世紀から初期の学寮(1180年に最初の学寮「十八人寮」が創設された)が始まったが、その数は13世紀に増加し、規約も明確にされた。ソルボンヌ学寮(1257年)、アルクール学寮(1280年)、ナヴァール学寮(1304年)などである。オクスフォード大学ではマートン学寮、ベイリアル学寮、ケンブリッジ大学ではピーターハウス学寮などが創設された。
学寮(コレッジ)が大学の中心に
(引用)学寮は社会的・地理的ないくつかの断層を保つ傾向を示した。学寮は厳しい規律と制服の着用とを義務づけたので、一部の貧窮学生を他の学生から区別した。また、創立者の中には、学寮を自国人の使用に充てることを望む者もいたので、同じ国の学生が再編成されることも多かった。一方、13世紀中には、宿泊所という単純な機能を越えて、学問的活動を行い始める学寮もあった。それはまだ「講義」といったものではなく、むしろ学生が昼間に特定の大学で習ったことを復習することができるように、夜に行われた「復習」や「討論」であった。しかし、いくつかの学寮、中でもソルボンヌ学寮では、その「討論」が非常に評判になったので、外部から多くの聴衆が集まった。これは、学寮が大学教育の真の中心となる時代を予示している。<ジャック・ヴェルジュ/大高順雄訳『同上書』 p.76-77>