明の太祖
洪武帝は1381年、モンゴルの支配と元末の農民反乱で荒廃した農村を復興させ、租税基盤を確立しようとし、全国に及ぶ
戸籍台帳兼租税台帳として、全国一斉に賦役黄冊を作成させた。表紙が黄色だったので、賦役黄冊と言われた。ねらいは、流民(戸籍をもたない人びと)を戸籍に登録し、租税を負担させることであった。「賦役黄冊」作成の任務を負担し、賦役徴収の末端を担う組織が「
里甲制」である。なお、賦とは田賦のことで農作物現物納を意味し、役は徭役のことで労働負担を意味する。明代の農民はこの田賦と徭役を負担していた。