明の十三陵
北京郊外にある明の永楽帝以後の歴代皇帝の墳墓群。巨大な陵の一部が公開されている。
明の成祖永楽帝以来の皇帝の陵墓は、北京北西約40kmの天寿山のふもとに造営された。その地には成祖の「長陵」以下、明末の毅宗に至る13の皇帝の陵墓があり、「明の十三陵」と言われている(第7代景泰帝のみは北京西郊の金山に葬られた)。永楽帝の没年は1424年だが、すでに1409年に墓域を決め、造営に着手している。
陵区の入り口には石碑があり、さらに1k進むと大紅門(ここにも中に巨大な石碑がある)を抜けると、両側に石獣、石人が並ぶ神道が延々と続くその先に、成祖の長陵以下に分かれてる参道になっているが、現在一般観光客が見学できるのは万暦帝の定陵のみ。発掘調査が終了しているのが定陵だけだからと言う。定陵はついては万暦帝の項を参照。
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入口への神道
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定陵の大紅門
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定陵の中の玉座
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万暦帝の棺
陵区の入り口には石碑があり、さらに1k進むと大紅門(ここにも中に巨大な石碑がある)を抜けると、両側に石獣、石人が並ぶ神道が延々と続くその先に、成祖の長陵以下に分かれてる参道になっているが、現在一般観光客が見学できるのは万暦帝の定陵のみ。発掘調査が終了しているのが定陵だけだからと言う。定陵はついては万暦帝の項を参照。
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入口への神道
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定陵の大紅門
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定陵の中の玉座
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万暦帝の棺
明十三陵のひとつ、万暦帝の定陵