カリカット
インド西海岸の港市。ムスリム商人や永楽帝の派遣した鄭和、後のポルトガルのヴァスコ=ダ=ガマが来航した。現在は現地の言葉でコジコーデという。
カリカット(現コジコーデ) GoogleMap
鄭和の来航
1406年に中国の明王朝の鄭和がこの地に到達、永楽帝の詔勅と銀印をカリカットの王に与え、以後第3回までの航海はいずれもカリカットを目的地としたものであった。しかし、永楽帝の次の時代には明は積極的な海外進出策を放棄したので、中国商人の渡来は途絶えた。ポルトガルの進出以後
14~17世紀はヒンドゥー教国ヴィジャヤナガル王国が南インド一帯を支配したが、カリカットには独立性の強い藩王がおり、ムスリム交易圏の中心地として繁栄していた。そこに1498年、ポルトガルのヴァスコ=ダ=ガマ船団が到来し、16世紀初めにポルトガルは武力でインド洋のムスリム勢力を排除して、香料貿易を中心とする※なお、カリカットという地名の呼称はイギリス植民地時代の英語読みであるので、現在では現地語の発音によるコジコーデ(あるいはコーリコーデ)と表記される。また、カルカッタ(現在の表記はコルカタ)はインド東部、ベンガル地方の都市でイギリスが拠点としたところなので注意しよう。