宋学(朱子学)では、心を性(仁、義、礼、知、信の五常をもつ人間の本性)と情(感情、欲望)とにわけ、性がすなわち理(宇宙の根本)であると考え「
性即理」とし、それにそった生き方によって聖人となることを目指したのであるが、
王陽明はそのような考えをあまりに主知主義、観念的であると批判し、人間の心は性と理が渾然一体となった物であり、その心こそが宇宙の真理と一体であると主張し、その考えを心即理と言い表した。この考えは、かつて朱子と同時代の南宋の
陸九淵が説いたことと同じであるが、王陽明は独自の思索を通じてこの考えに到達したという。