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理藩院

清のホンタイジの時、征服地の藩部を統轄するために置かれた機関。

 1638年、清のホンタイジ(太宗)が内モンゴルのチャハル部を平定したときに置いたのが始まりで、清朝の征服地がひろがるとともに管轄範囲が広がった。最終的にはモンゴル、青海、チベット新疆(ウイグル)の4藩部を統治することとなった。一時、礼部の下部組織となったがまもなく独立し、以後一貫して藩部の統治機関として続いた。理藩院は中央政府の中で吏・戸・礼・兵・刑・工の六部と同列に列せられ、その長官(尚書・侍郎)は満州人(女真人)のみが任命された。
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