ブルサ
オスマン帝国第2代のオルハン=ベイが1326年に都とした、小アジア北西部の都市。
オスマン帝国を建国したオスマン=ベイは小アジアのビザンツ帝国領を徐々に奪い、ブルサをほぼ手中に収めたが、間もなく死去し、その次のオルハン=ベイが1326年にブルサを新首都と定めた。オルハンはブルサを拠点に勢力拡大をはかり、1354年にダーダネルス海峡の要所ガリポリ(トルコ語ではゲリボル)を獲得しバルカン半島進出を開始した。
Episode 霊廟とケバブと温泉と
(引用)雄大なウル山脈の麓、温泉と緑に恵まれたブルサを、トルコの人は“イエシル・ブルサ”(緑のブルサ)と呼ぶ。では(そのシンボルとされるメフメト1世の霊廟である)イエシル・テュルベは、当然グリーンかというと、そうではなく、霊廟を飾るタイルは、トルコ石のような澄んだ空色、スカイ・ブルーである。トルコ語の“イエシル”は、樹々の緑から明るいブルーまでを含めた広範な青を意味する。日本語で緑の木の葉を“青葉”というのと似ている。“イエシル”はトルコ人にとって聖なる色であり、モスクの壁面から墓碑に至るまで、トルコではブルーのタイルが好んで使われている。オスマン帝国の古都であるブルサは、トルコの代表的な肉料理ケバブと、温泉が湧き出ていることでも知られている。ブルサのケバブは「イスケンデル・ケバブ」といい、“厚焼きのピデの上に、ラムの焼き肉をこっごりとのせ、その上からヨーグルトをたっぷりとかけたもの”で、イスケンデルとはアレクサンダーのトルコ語だが、あのアレクサンドロス大王が食べたということではなく、この料理を考案した人物の名によるという。渋沢さんの旅行記には、ブルサ・ケバブを平らげた話しと、温泉(ハマム)に出かけ、地元のおばさんたちの裸踊りに加わった話しなど、面白い旅行記です。
征服王(ファティーフ)メフメット2世の祖父にあたるメフメット1世の霊廟、イエシル・テュルベは、イェシル・ジャミ(緑のモスク)と並んで、ブルサの町を見下ろす高台にあった。・・・ブルサには古いモスクや霊廟が多い。オスマン・トルコの始祖オスマン=ベイの霊廟には、緑の布でおおわれた柩が安置され、その上に大きなターバンが飾られていた。この棺の中に豪奢な衣装に包まれた遺体が、14世紀以来、眠っているのかと思うと、なにやら背筋が寒くなってくるが、後に聞いたところでは、遺体は埋葬され、棺の中には空らなのだそうである。<渋沢幸子『イスタンブール、時はゆるやかに』1994 新潮文庫 p.114>