トマス=モア
16世紀、ルネサンス、宗教改革時代のイギリスの代表的人文主義者。主著『ユートピア』などで封建社会を風刺した。国王ヘンリ8世に仕え、法律家、外交官としても活躍したが、1535年、王の離婚に反対し刑死した。

BRITAIN'S STORY Told in Pictures p.32
その代表的な著作である『ユートピア』は1516年に発表され、新世界の独立国を訪ねるということに仮託して、当時の絶対王政のあり方をするどく風刺し、またエンクロージャー(第1次)の進行する社会を告発した。この書がルターの宗教改革の前年であることに注意しておこう。
Episode この髯だけは大逆罪を犯していない――モアの処刑
(引用)1535年7月6日、15ヶ月近く幽閉されていたため見るかげもなくやつれていたモアはついに処刑のために塔から引っ張り出された。その朝、ヘンリの使いが来て、刑場で群衆に向かって余り物をいわないようにとの命令を伝えた。途中で長女のマーガレットはモアの姿を群衆にまじってじっと見ていた。その際やせ衰えたモアに一人の婦人がすすみよって葡萄酒をすすめたが彼はそれを辞退した(マーガレットその人であったかもしれない。)モアはゆっくり断頭台にのぼり、ひざまずいて・・・・「詩編」五十一編を誦した。いよいよ最後になった時、モアはその場にいた人々に向かって「どうか私のために祈って下さい、そして私が聖なるカトリック教会の信仰を持ち、またその信仰のために、ここに死刑に処せられると言うことの事実の証人となって下さい。」といった。また伝説的な物語として、一度首きり台に首を横たえてから、また急に首斬人に向って「一寸まってくれ、髯をのけるから。この髯だけは大逆罪を犯していないからね。」といったという話がある。かくして、「法の名の下に行われたイギリス史上最も暗黒なる犯罪」が行われた。<『ユートピア』 岩波文庫 平井正穂解説 p.209>
Episode モアの頭蓋骨
(引用)彼の頭(こうべ)はロンドン橋の上にさらされた。モア家には、こういう話が伝わっている。ある日、彼の娘のひとりが橋の下を通りすがりに、父親の頭を仰ぎ見て、こう言った。「あのおつむりは、なんど私の膝の上で眠ったことでしょう。どうか神様、下を通ります私の膝に、あのおつむりを落として下さいませ。」彼女の願いは叶えられて、頭は彼女の膝の上に落ちた。そして今は、カンタベリー大聖堂の納骨所に納められている。ヘレフォドシャーのチルストンのモア氏が、サー・トマスの子孫である。内乱の時兵隊たちの手で略奪された貴重な品の数は限りなく多いが、なかに彼の骸骨があった。家族の人たちが形見にとっておいたものである。私には彼がいまだに聖者の列に加えられないでいるのが不思議なことに思われる。彼が教会に尽くした功績は非常に大きいのだから。<オーブリー『名士小伝』冨山房百科文庫 p.146>これはトマス=モアの時代からほぼ1世紀後の17世紀に書かれた、伝記作家として知られるジョン=オーブリーの『名士小伝』の一節。
参考 映画『わが命つきるとも』
1966年製作、フレッド・ジンネマン監督作品。トマス=モアを名優ポール・スコフィールドが演じていた。モアがヘンリー8世の離婚問題に反対して処刑されるまでを、娘(スザンナ・ヨーク)の結婚などをからめて描いた映画で、淡々とした態度で自説を国王に説くモアの姿や、16世紀イギリスの宮廷生活が誇張無く淡々と描かれていて、この時代を知るよい勉強になる。