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ファン=アイク兄弟

14~15世紀の北方ルネサンス、フランドル派の最初に登場した画家の兄弟。油絵技法を改良したといわれる。代表作に兄弟合作による『ヘントの祭壇画』がある。

ファン=アイク

ファン=アイク兄弟『ヘントの祭壇画』1432

 14世紀末から15世紀初めのネーデルラントの一部、フランドル(フランデレン、現在のベルギー)の画家。ファン=エイクとも表記。兄(フーベルト)は1426年、弟(ヤン)は1441年没。フランドルのブリュージュ(ブリュッヘ)とヘント(ガン)で活動した。二人は油絵技法を改良し、フランドル派といわれる一派を創始した。作品には兄弟合作の『ヘントの祭壇画』(1432 聖バーフ大聖堂、右図)、弟ヤンの肖像画の作品が有名で、弟の代表作には『アルノルフィニ夫妻の肖像』1434年(下図)がある。兄フーベルトの作品は合作の『ヘントの祭壇画』しか知られていないが、弟ヤンはその後もブルゴーニュ公フィリップ(ル=ボン、善良王)の宮廷画家として仕え、多くの宗教画や肖像画を残している。
 彼らが活躍した15世紀初頭は、イタリアでは初期のマサッチョギベルティと同時代であり、フランドルで発明された油絵技法と、イタリアで開発された遠近法が合わさってルネサンス絵画が生み出されたと考えられる。

兄弟合作の『ヘントの祭壇画』

 ヘントの聖バーフ大聖堂の祭壇のために制作された、複合祭壇画。初めて油絵技法で描かれた大型の祭壇画として貴重である。フーベルトとヤンのファン=アイク兄弟の合作であるが、下段正面の中央の中心場面である「神秘の子羊の礼拝」がフーベルト、上段左右のアダムとイブ、この写真にはないが外扉に描かれた受胎告知などがヤンの制作というのが定説という。<高階秀爾『カラー版西洋美術史』美術出版社 p.81>
 なお、ファン=アイク兄弟が仕えたヘントの領主ブルゴーニュ家の歴史を追う堀越孝一氏の著作『ブルゴーニュ家』には、この『ヘントの祭壇画』の詳しい絵解きが述べられている。<堀越孝一『ブルゴーニュ家』1996 講談社現代新書 p.12-24>

油絵技法の発明

ファン=アイク『アルノルフィニ夫妻の肖像』
ヤン=ファン=アイク
『アルノルフィニ夫妻の肖像』1434
 一般にファン=アイク兄弟は油絵技法の発明したと言われている。実際には兄弟の登場以前からフランドルでは油絵が描かれており、兄弟がその技法を完全なものにしたと考えられる。油絵の技法とは、顔料を亜麻仁油(リンシードオイル)で溶かし、何重にも塗り重ねができ、微妙な色のニュアンスをだせるもので、写実的な表現に適していた。この技法はフランドル地方ではじまり、イタリアに伝えられた。イタリアでは中世以来、フレスコ画やテンペラ画が作られていたが、15世紀以降は油絵が描かれるようになり、ルネサンス以後の絵画の主流となる。これはイタリア=ルネサンスがアルプス以北に影響を与えただけでなく、その逆もあったことの例である。<高階秀爾『フィレンツェ』1966 中公新書 p.83>

出題 05年 東大

 「図版(左)は画家ヤン・ファン・アイクが1434年に製作した油彩画で、これはネーデルラントの都市ブリュージュ(ブルッヘ)に派遣されたメディチ家の代理人とその妻の結婚の誓いが描かれている。この時代のネーデルラントは、イタリア諸都市と並んで、この絵の中に描かれているあるモノの生産で栄えたが、やがてその生産の中心はイギリスへ移っていった。この製品の名称を答えなさい。」

解答 

解説 

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書籍案内

堀越孝一
『ブルゴーニュ家』
1996 講談社現代新書