ガン/ヘント
フランドル地方の毛織物業が盛んな都市。ガンはフランス語読み。現在はベルギーに属しているのでヘントという。
ヘント GoogleMap
ブルゴーニュ公の支配
百年戦争の時代、1384年、フランドル伯が死去すると、その娘のマルグリットはヴァロワ家の分家であるブルゴーニュ公フィリップと結婚していたため、この夫婦がフランドルを共有することとなった。これによってブルゴーニュ公はフランス東南部のブルゴーニュ地方と北部のフランドル地方とをあわせて支配するようになり、ヴァロワ朝フランス王と対抗する大封建領主となった。フランドルの毛織物地帯を巡る利害対立から始まった百年戦争の時代は、ヘントはフランドル地方の中心都市として、経済的にも政治的にも重要な都市となった。
ハプスブルク家の支配
1477年にヴァロワ家系ブルゴーニュ家が終わり、ハプスブルク家のマクシミリアンが継承することになるが、その孫で、後にドイツ王、スペイン王を兼ねて神聖ローマ皇帝となるカール5世もここヘントのブルゴーニュ公宮廷で生まれている。この商業都市で蓄積さえれた資本をもとに、1830年代にはベルギーの産業革命が展開された。
フランドル派の美術
ヘントはフランドル地方の毛織物業、商業の中心地の一つとして発展し、学問と芸術が盛んで、特に絵画ではフランドル派といわれる一派がこの地方で発達した。代表的な画家に14世紀末から15世紀にかけてファン=アイク兄弟(ファン=エイクとも表記)がおり、合作の『ヘントの祭壇画』が聖バーフ大聖堂にのこされている。