グーテンベルク
15世紀のドイツ人で、活版印刷術を実用化した。1455年ごろ聖書を印刷発行し、宗教改革に大きな影響を与えた。
グーテンベルク
活版印刷術の発明
(引用)とはいえ、母型に基づいて鋳造した活字の助けを借りて印刷するための実際的・能率的なシステムを、西洋において最初に成就させたのは、1400年よりも少し前にマインツで生まれたヨハン・ゲンスフライシュ、通称グーテンベルクであることは、ほぼ確かである。彼は刷毛や刷筆を用いて、紙を木版に手で押しつけるのではもはやなく、機械的な手段、すなわち印刷機械(プレス)を用いた。彼はすでに1436年、シュトラースブルクにおいて、このような方向の探求に専心していた。(1440年頃オランダのハーレムで活字を用いた印刷を試みた)コステルの多少とも成功した試みを利用するところがあったかもしれない。1444年から1446年のあいだに、彼はマインツにもどり、そこで金融業者フストの出資を得て、その方法を決定的に完成し、それによって印刷を始める。今日なお一般におこなわれているのも、要するにこの方法にほかならない。<エリク・ド・グロリエ/大塚幸男訳『書物の歴史』初刊1954 文庫クセジュ1992 p.69-70>
出資者との争い
しかし、彼が最初に印刷した物がどのようなものであったかは判っていない。1454年の末、グーテンベルクは出資者フストと争い、1455年、訴訟に負けて、その機械をフストにゆずるの余儀なきに至る。そこでフストは女婿ペーター・シェッファーとともに新しい印刷を設備する。二つの印刷所は、1454~55年に免罪符の印刷を競っている。1456年8月24日以前に、最初の重要な書物である、いわゆる『グーテンベルク聖書』または『42行聖書』が出版される。この聖書はグーテンベルクの工房からよりもむしろフストおよびシェッファーの工房から出たものであるかもしれない。グーテンベルクの活動は衰え、1467年の末、あるいは1468年の初めに死ぬ。<『同上書』p.70-71>