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ローマの牝牛

中世末期のドイツがローマ教会の贖宥状販売など、財源となっていたこと。

 ドイツでは、神聖ローマ帝国皇帝の支配は実質的ではなく、多くの領邦(ラント)に分裂していた。世俗諸侯の領邦だけではなく、大司教や司教などの聖職者の所領も多く、それらはローマ教会の基盤として存在してた。当時、イギリス、フランスなどでは国家統一を進め、教会の所領に対しても国王は課税権を主張するようになっており、ローマ教皇はかつてのようにたやすく資金を集めることはできなかった。
 16世紀にルネサンスの中心地がローマに移り、ローマ教皇はその保護者としての出費を必要になってくると、教皇レオ10世は、サン=ピエトロ大聖堂の修築のためにドイツに目をつけ、教会領への課税を強めるとともに、贖宥状の発売などで農民からのお金を巻き上げようと考えたのであった。そこから、ドイツはローマ教会によって牝牛のように搾り取られる存在となり、「ローマの牝牛(雌牛)」といわれるようになり、1517年ルター宗教改革の烽火を上げると、ドイツの農民がルターを支持する背景となった。
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