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サン=ピエトロ大聖堂/聖ペテロ大聖堂

ローマ=カトリック教会の中心である総本山。世界最大の大聖堂で、ローマ帝国時代に建造され、ルネサンス期に修築された。隣接する一帯がヴァチカンとされている。

サン=ピエトロ大聖堂
ヴァチカンのサン=ピエトロ大聖堂
 ローマの一角を占めるローマ教皇の居所であるヴァチカン(ローマ教皇庁)に隣接する、ローマ=カトリック教会の総本山。
 使徒ペテロの墓所とされており、コンスタンティヌス帝がそこに教会堂を建てられ、多くのキリスト教信者の礼拝者が訪れる聖地となった。

ルネサンス期の再興

 ローマ帝国が滅亡して困難な時期を迎え、さらに中世の長い時期に放置され荒廃していたので、ルネサンス時代の1506年、教皇ユリウス2世が大改築を開始した。ブラマンテが最初の設計にあたり、ついでラファエロミケランジェロなど、ルネサンス時代の芸術家がその設計や建設、壁画の制作などに加わった。ルネサンス様式の代表的な建造物とされる。

贖宥状の発行

 このサン=ピエトロ大聖堂の修築費用を捻出するためにローマ教皇レオ10世はドイツでの贖宥状の発売に踏み切り、それに対する反対運動としてルターの宗教改革が始まった。
ルターの95カ条の論題での批判 1517年、ルターがヴィッテンベルク城門に張り出し、宗教改革の口火を切ったとされる「九十五ヶ条の論題」には、つぎのような文がある。
    (引用)
  • (50項)教皇が贖宥の説教者によってどれだけの取り立てがなされているかを知ったなら、教皇は聖ペテロ教会が彼の子羊たちの皮、肉、骨で建設されることではなく、それを灰燼に帰すことを選ぶに違いない、とキリスト者は教えられるべきである。
  • (82項)教皇が(聖ペテロ)大聖堂を建設するための最も汚れたお金で、すなわち最も薄弱な根拠で数えきれないほどの魂を贖(あがな)っているというのなら、なぜ聖なる愛や魂の大きな困窮、すなわちこのような最も正しい理由に基づいて、煉獄をからにしてしまわなかったのか。
  • (86項)また、なぜ教皇は、財政的に今日では豊かなクラッススより富を得ているのに、貧しい信徒たちのお金ではなく、自らのお金で、この聖ピエトロ大聖堂だけでも建ててみようと思わないのか。
<ルター/深井智朗『宗教改革三大文書』2017 講談社学術文庫 p.27~38>
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