ツヴィングリ
ルターに共鳴し、スイスのチューリヒで宗教改革を開始した人物。
ツヴィングリ Ulrich Zwingli 1484~1531 はスイスのチューリヒの郊外の豊かな農家で、ルターの翌年(1484)に生まれた。ウィーンやバーゼルの大学で学び、エラスムスの人文主義の影響を受け、合理的な精神を培った。
チューリヒで宗教改革を実行
チューリヒに司祭として赴任し、ルターの宗教改革が始まるとその主張に共鳴して、1519年頃から福音主義に基づき、ローマ教会を厳しく批判し始めた。彼はルターよりも徹底して聖像や聖画、修道院制度やミサなどの儀式を批判し、その廃止を主張した。1523年にはチューリヒの市参事会で彼の主張が認められ、改革が始まった。ツヴィングリは、修道院の閉鎖を命じ、教会ではミサを廃止し、華美な聖画像や、根拠のない聖遺物を撤去させた。ルターとの対立
1529年にはルターと会談し、共同した改革を目指したが、両者の間で意見が合わない点があった。それは従来の教会で行われていた、聖餐の扱いについてであり、ルターはミサのパンと葡萄酒をキリストの血と肉であることを認めた(この点ではカトリック教会と同じだった)のに対して、ツヴィングリはそれは形式的なものにすぎないとして、象徴としてのみ認めようとした(ルターよりも改革を徹底しようとした)。この点で両者の協力体制は不調に終わった。スイスの宗教内戦
スイス諸州はツヴィングリ派とカトリック派に分かれて内戦となり、1531年カッペルの戦いでツヴィングリが戦死し、スイスの宗教改革はいったん頓挫する。ツヴィングリ派の急進派で、幼児洗礼を認めない一派は再洗礼派として分派を作ることとなる。