ドレーク
イギリスのエリザベス1世時代に、私拿捕船の船長として活躍。1577~80年、イギリス人としては初めて世界周航に成功。
イギリスでは、エリザベス1世の時代に、私拿捕船(私掠船ともいう)といって、政府から免許状を受けて海賊行為を行う船があった。特にスペイン船で新大陸との貿易船を襲撃して略奪をする私拿捕船が多かった。この私拿捕船の船長として最も有名なのがフランシス=ドレークである。彼は西インド諸島でスペイン船を襲っていたが、1577~80年には、マゼランに次ぐ2回目の(イギリス人としては初めて)世界周航を、途中スペイン船からの略奪をしながら、達成した。この航海は女王自身も出資し、ドレークのもたらした富は、60万ポンドという莫大な金額にのぼり、エリザベス女王は4700パーセントの配当金を得ていたという。またスペインの無敵艦隊を迎え撃ったときはイギリス艦隊の指揮官として活躍した。<増田義郎『略奪の海カリブ』岩波新書 P.77-78> → アルマダ戦争(海戦)
※マゼランは太平洋に出るルートは自分たちの通った海峡だけしかないと信じていたが、ドレークはさらに南に、南米大陸(最南端のホーン岬)と南極大陸の間の広い海峡を発見し、狭いマゼラン海峡ではないルートを開くこととなった。この海峡は現在はドレーク海峡と言われている。
※マゼランは太平洋に出るルートは自分たちの通った海峡だけしかないと信じていたが、ドレークはさらに南に、南米大陸(最南端のホーン岬)と南極大陸の間の広い海峡を発見し、狭いマゼラン海峡ではないルートを開くこととなった。この海峡は現在はドレーク海峡と言われている。